川沿い桜ガイド 目次

このブログで取り上げている川沿いの桜ガイドをまとめました。
お花見散策などに活用いただければ幸いです。

河川名をクリックすると、その記事にリンクします。

※ 河川の護岸工事などで状況が変わっている場合がありますので、
   御承知おき願います。  

神田川  (井の頭池~江戸川橋)
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善福寺川
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妙正寺川
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目黒川
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野川
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仙川
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二ヶ領用水 (本流・宿河原堀・川崎堀)
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千川上水 4

千早高校を過ぎると、千川上水は住宅街の中へと入っていく。
その住宅街の中に千川親水公園という細長い公園が続く。
歩いた時は冬であったが、夏になれば水が流れ子供たちの歓声が響き渡
るのだろうか。
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親水公園の中に掲示されていた昭和30年頃の千川上水の様子。
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千川上水の水路敷は周囲より数十センチ高くなっており、そこにはかつて
の風景を再現するかのように木立と土の道が続く。
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その先、地下鉄有楽町線千川駅の西側、要町三丁目交差点に達する。
千川上水はここで長崎村分水を分けていた。
もともと、ここより500メートルほど東南にある粟島神社の池に端を発した
谷端川が流れていたが、長崎村分水はその谷端川へ接続するように造
られ、長崎村、池袋村、滝野川村、巣鴨村、小石川村などの流域の農業
に貢献していた。
分水口は七寸四方あったという。
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要町通りを渡ると、上水の流路は駅周辺の駐輪場として活用されている。
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千川上水は右へと折れ、都立板橋高校の南側を進んでいく。
ここも歩道脇に桜の並木道が続いている。
ここは板橋区(左岸)と豊島区(右岸)の境界線となっている。
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そのまま道沿いに進み、板橋交通公園が見えてくる。
公園は子供たちや家族連れで賑わっている。
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都道と合流して川越街道方向へ向かうが、その途中の歩道には水神が祀
られている。
昭和に入り周囲に家が立ち並び、水難事故が発生、その安全祈願に建て
られたもののようだ。
脇の説明板によれば、上水の暗渠化は水難事故を危惧する周辺住民には
歓迎されたようで、それぞれの事情があったことを察することもできる。
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川越街道との交差部には水路敷は東京都の建設事務所の管理用地として残る。
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川越街道の先、大山駅の南側の住宅街を進んでいく。
駅への通路として利用されているため、道路の通行量は多いが、ここが
かつて用水路跡であることを知る人はどれほどいるだろうか。
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商店街のアーケードを横切り、大山駅の西側で東武東上線と交差した後、
千川上水はさらに北東へとながれていた。
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板橋第一中学校の北の道路は、住宅街の中にある中でやや道幅が広い
が、その道幅がかつての水路であったことを物語っている。
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前方に首都高速と板橋区役所の建物が見えてくる。
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板橋区役所脇を通り中山道へと達する。
ここで水路は東へと向きを転ずるが、中山道の北側に短い区間ながら、カ
ーブする道路がある。
水路跡であることは明らかであろう。
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再び中山道沿いに合流、板橋郵便局手前から千川用水は中山道の南へ
と入っていく。
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この南側は緩やかな坂となっており、その下を、先ほど分水し椎名町付近
を大きく迂回して流れていた谷端川がある。
北には石神井川が流れ、千川上水は石神井川と谷端川の間の台地の上
に築かれたことがわかる。

閑静な住宅街を進んでいくと左手に板橋一丁目児童遊園という小公園がある。
ここには板橋火薬製造所への分水口があったという。
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やがて道路はJR埼京線の板橋駅西口へと達する。
JR線を渡ったところに下水道の谷端川幹線が地下を通っており、現在は
休止されているものの千川上水の暗渠として流れてきた水は、谷端川幹
線へと合流し、石神井川の埼京線鉄橋脇へと落ちるようになっている。
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以前の千川用水は更に東へと進んでいた。
埼京線を越した先、交差する道路が凸状になっている箇所がある。
千川上水が築堤として流れていた形跡であることは明らかだ。
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なおこの南、板橋駅東口には新撰組隊士供養塔(谷端川2参照)がある。
ここから100メートルほどの距離なので立ち寄ることをお勧めする。

その先、住宅街の中を道路を進んでいくことになる。
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明治通りの手前、数十メートルの場所に千川上水のマンホールがある。
中央の紋章は、「千川上水」の文字を図案化したもの。
この脇にも、もう一つ、同じの紋章が付けられた四角いマンホールを見つ
けることができる。
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そして、明治通りとの交差点脇に千川上水分配堰碑が立っている。
ここで北へ分ける分水路があり、明治通り沿いに流れていた。
この分水路は慶応元年(1865)に開削されたもので、飛鳥山の西側にあ
った幕府の大砲製造所への給水を目的とした。
明治以降は、王子付近の紡績工場、抄紙会社、大蔵省紙幣寮抄紙局へ
の工業用水として利用された。
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強調文
そして明治通りを渡った場所に千川上水公園がある。
千川上水はここで六義園や本郷、湯島方面へと分かれていた。
かつては巣鴨溜堀と呼ばれ、明治になって千川水道会社が設立されると
(記事冒頭参照)、ここに沈殿池が設けられた。
公園内には、六義園給水用の導水門が保存されている。
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ここから先、江戸市中へは地中に埋められた木樋の中を流れていくこととなる。
玉川上水の分水口がら辿ってきた千川上水の歩行記はここで終わること
としよう。

《参考資料》
『絵図と写真に見る千川上水』 石神井公園ふるさと文化館
『千川上水 一九四〇年といま』 千川の会
『千川上水の今と昔』 練馬古文書研究会



目次
 

千川上水 3

引き続き、千川上水を辿っていく。
西武池袋線の中村橋駅、その駅名の由来は千川上水に架かっていた橋だ。
ちょうど中村橋駅交差点付近に橋があったという。
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その中村橋から200メートルほど歩くと、またもや緑地帯の中に祠がある。
中村不動尊と称し、成田山新勝寺にて開眼法要した不動尊である。
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その中村不動尊が祀られている交差点から南へ中村分水が分水されていた。
中村分水はここから南へと流れ、学田公園付近で中新井分水(後述)に合流する。
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桜並木が続く暗渠の上の千川通りの歩道。
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目白通りとの交差点の100メートルほど手前、今度は中新井分水を南へ
と分ける。
中新井分水は学田公園で先ほどの中村分水を合わせ、その先は江古田
川(中新井川)とつながる。
元々、学田公園付近に湧水池があったようだが、湧水が枯渇したことも中
新井分水開削の契機の一因であったらしい。
なお、中新井分水と呼ばれる水路は3本あり、ここの分水は最上流の水路
で上新街分と呼ばれる。
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目白通りと交差すると、千川通りは練馬駅周辺の繁華街へと入っていく。
練馬駅の手前、左斜め後方から合流する道路があるが、ここはかつて石
神井川からの揚水の合流地点であるという。
冒頭に記したように千川上水は明治以降、工業用水としても利用された
が、下流の工場で水が不足したため、昭和10年(1935)石神井川の中之
橋(豊島園東側)の下流からポンプで水を揚げ、ここで千川上水に補水し
ていた。
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練馬の南側に練馬大鳥神社と東神社を訪ねてみた。

正保2年(1645)、中新井村に三羽の鶴が飛来し、村人たちが瑞祥として
保護した。
鶴の死後、小祠を建ててその霊を祀ったのが練馬大鳥神社の始まりとされる。
その後、社殿を建立し、和泉国一宮の大鳥神社から勧請したという。
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練馬大鳥神社の南側に隣接するように鎮座するのが東神社、由緒は不明。
境内には橋供養正観音(写真右)が祀られているが、これは安永3年(1774)、
千川上水に筋違橋が架けられた際に供養して建てられたもの。
もともとは上水沿いにあったが、暗渠化された際に東神社内に移された。
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更に千川通りを東へ辿っていくと、「清戸道と千川上水」という練馬区教育
委員会による説明板が立っている。
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この付近の千川通りは千川上水の流路であるとともに清戸道という古道で
もあった。
清戸道は江戸川橋から目白・練馬・保谷・東久留米を経て清戸(清瀬市)に
至る道で、清戸の農民は農産物を江戸へ運搬・販売し、帰途は下肥を持ち
帰ったという。

その先の桜台駅南西の交差点には2つ目の中新井分水下新街分)の分
水口があり、青果店脇の細い道がその名残である。
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またこの交差点には「桜の碑」と記された記念碑がある。
脇の説明板によれば、近くにある西武池袋線の桜台駅は、千川上水の桜
並木に因んで名づけられたものという。
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環状七号線を越えると、千川通りの右側には武蔵大学のキャンパスが広がる。
環七との交差点の東側付近に3番目で最下流の中新井分水北新井分
の分水口があったという。
この中新井分水は濯川と呼ばれ(武蔵学園により命名)、現在は大学構
内に循環方式の水路として復元・整備されている。
なお、下新街分と北新街分の中新井分水は、上新街分と同様、流末は江
古田川へと注いでいた。
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やがて千川通りは江古田駅に近づくが、その手前北側に武蔵野稲荷神
が鎮座する。
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創建年代は不詳、本殿は小高い塚の上に建っており、太田道灌と豊島泰
経が戦った江古田・沼袋の戦い(妙正寺川2参照)における豊島軍の死者
を葬った塚とも伝えられる。
また、かつては塚の周囲に堀があり、千川上水の水が引き込まれていたという。

江古田駅の南、江古田二又(江古田駅南口交差点)に達する。
ここで千川上水は通りの左側から右側へと移る。
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江古田二又から300メートルほど行った地点で、江古田分水が南へと分けていた。
分水口から南へと流れていた江古田分水は現在一般道となっており、かつ
て分水口があった場所はちょっとわかりにくい。
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その先で練馬区から豊島区へ入る。
区境の先で江古田分水は左へ直角に曲がり、南東から北東へと向きを変える。
下の写真は曲がった先の地点で西武線の踏切が遠くに見える。
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曲がる前の練馬と豊島の区境付近、および西武線の踏切の北側からは、
石神井川へと流れる水路を分けていた。
この水路はエンガ堀と呼ばれ、小竹向原付近を通って、耕整橋で石神井
川へと合流していた。
こちらは分水路というよりも排水路として使用されていたらしい。

西武線を渡り、都立千早高校脇に達すると、右側の歩道だけ高くなっている。
車道がV字状の地形に沿って上下するのに対し、歩道部分を通っていた千
川上水はその高低差を避けるように通されてためだ。
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この僅かな高低差は、先ほどのエンガ堀の支流の一つが流れていたためで、
ここでは千川上水とエンガ堀支流は立体交差していたらしい。
エンガ堀の支流は道路の左側に暗渠道として確認することができる。
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《参考資料》
『絵図と写真に見る千川上水』 石神井公園ふるさと文化館
『千川上水 一九四〇年といま』 千川の会
『千川上水の今と昔』 練馬古文書研究会




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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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