深大寺用水東堀 1

深大寺用水東堀を追った。
深大寺用水については、既に本ブログからリンクさせて頂いているtokyoriver
さんやimakenpressさんが丹念に調査され、記事を書かれている。
今回、深大寺用水を辿るにあたり、とても参考になるサイトであり、紹介させて
頂くとともに、この場を借りて御礼申し上げたい。

まずは深大寺用水の歴史について触れておこう。
深大寺用水は江戸期に造られた他の多くの玉川上水の分水とは異なり、明治
4年(1871)に開削された田用水である。
深大寺用水開削のきっかけとしては、2つの要因があるとされる。
1つは安政2年(1855)に発生した安政大地震であり、入間川の源流域であ
る深大寺村字野ヶ谷の湧水群(釜と呼ばれる)が地震によって枯渇してしまった
という事象である。
入間川流域にはその湧水を利用して水田地帯が広がっていたが、荒れ地となっ
てしまったという。
もう1つは明治維新による行政事情およびそれに伴う租税の重税化である。
江戸期、この辺りは天領(幕府直轄地)や旗本知行地であり、年貢もそれほど
重いものではなかった。
明治維新後、調布付近は品川県に所属することとなったが、品川県の財政悪
化という事情もあって重税が課せられることとなった。
そのため、荒廃地の復活、水田の拡張の必要性に迫られた。

深大寺村名主である富澤松之助を中心に明治3年末に富澤松之助(1844
~1926)を中心に、当時、野崎村(現三鷹市野崎)まで引水されていた梶野
新田分水の水の利用を品川県へ懇願した。
翌4年4月には認可が下り、早速、工事が開始された。
前年の明治3年、分水口改正が施行され、玉川上水南部の分水は砂川村
の取水口から取水、砂川用水を通して配水されるようになっていたが、砂川用
水ならびに梶野新田分水を拡張する必要があった。

富澤松之助の記録によれば砂川用水取水口から梶野新田までの14キロ弱
の区間をわずか2日間で、その先、野崎までの5.5キロの区間を7日間で堀割
を行ったとされる。
また、深大寺用水については、トンネル開削、築土手などを約10日間で完成
させたといわれる。
但し、用水として機能するまでには2ヵ月近い歳月が必要であったようだ。
これらの工事は富澤松之助の私財を投じて行われ、「生命が終わるか、身上
が終わるか」というのが松之助の口癖であったという。

なお、既存の野崎村までは飲用水としての用水であり洗い物が禁止されてい
たが、野崎村以降は田用水として利用され、洗い物も許可されていたという。
おそらく、現在のように洗剤を使用しない洗い物であれば、田用水には影響し
なかったということであろう。

さて、三鷹市野崎から深大寺用水東堀を追ってみよう。
野崎交差点の辺りで、梶野新田用水から深大寺用水が分かれていたという。
さらには、東八道路の南側で東掘と西堀が分かれる(水分れ)が、今回は野崎
交差点から歩き始めることにする。

野崎交差点から武蔵境通りを南へ歩き出すと、通り沿いに野崎八幡社がある。
深大寺用水は野崎八幡社の東側(写真左)の道路を通っていた。
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野崎村の創設は元禄8年(1695)の検地の際と言われているが、野崎八幡の
創建はその6年前の元禄2年(1689)のことだという。
社地が深大寺末寺の池上院に寄進され、同院が八幡社を勧請したとのこと。

八幡社の境内には薬師如来を祀る薬師殿があり、江戸末期(文久期)に三河
国鳳来寺の尼僧、梅風尼によってもたらされたという。
以来、眼病などに効能があるとされる「だんごまき」の行事が継承され、現在でも
十月八日に行われて三鷹市の無形文化財として登録されている、
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野崎八幡の南に通る東八道路を渡り、数十メートルほど進むと、東堀西堀
分岐点である水分れに達する。
今回は東堀を辿っていくので、左折してそのまま進むこととする。
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東八道路の南を東進していく。
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その先、一般道は南へとカーブするが、深大寺用水の跡は未舗装の歩行者道と
して残っている。
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その先、未舗装の道は短い坂を下り、いよいよ野ヶ谷の谷戸に入っていく。
ここで東堀は谷戸の東西の2つの流路に分かれていたようだが、ここはそのまま南
へと向かうこととしよう。
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南へ向かう道路の右側に歩道が続く。
写真の赤い家の道を左へと曲がると、数十メートル先に入間川の水源地(「釜」
と呼ばれる)であったことを説明する説明碑が立っている。
入間川1参照)
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歩道はところどころ車道と段差が生じているが、かつての用水の護岸の名残のようだ。
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用水沿いの道路は300メートルほど続く。
歩道が尽きる場所に五叉路があるが、ここは斜め左の道へと入っていく。
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その道を辿っていくと、諏訪神社の東側で三鷹通りへと出てくる。
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諏訪神社の由来については、入間川の項(前出)で説明したので、ここでは境内
にある石柱や石塔について紹介する。
上記写真の鳥居のを入ると、左側に1基の石橋と5基の庚申塔を見ることができる。
写真手前の石柱には「すわまえばし」と記載されており、現三鷹通りが深大寺用
水東堀に架かっていた橋の親柱である。
5基の庚申塔は近隣地域よりここに移されたもので、一番古いものは寛文6年
(1666)の建立で、調布市内最古の庚申塔であるらしい。
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諏訪神社の先も歩道がある道が続く。
先ほどの歩道とは違って、整然とした感じの道である。
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梅の湯という銭湯を過ぎると、再び蓋暗渠の歩道が出現する。
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途中、右手にあるきつね山児童遊園から眺めた光景、手前の道路が辿っている
深大寺用水東堀、奥に見える道路が入間川の流路跡である。
このように用水と入間川は数十メートルほどの間隔で並行している。
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その道路は原山通りに合流して終わるが、原山通りを数十メートルほど南下すると、
左に折れる住宅街の道路に流路跡を見出すことができる。
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更に辿っていくと、中央高速道路の北側、深大寺3丁目内14番に水路跡がある。
深大寺用水はここから179メートルの隧道となっていたらしい。
現在、この先で中央高速が切り通しとなって貫いており(写真奥の柵の向こう)、
その隧道を窺い知ることはできない。
さらには、前掲のtokyoriverさんやimakenpressさんの記事にある隧道につ
いての説明碑がなくなっていた。
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たまたま近くで農作業をされていた方にお話を伺うと、この水路跡は民間に払い下
げられたとのこと。(基本的に水路は公用地)
もしかしたら、数年後、この水路跡そのものが消滅してしまうかもしれない。

中央高速を跨道橋で渡ると小さな谷を下る。
隧道はこの谷下に抜けていたようだが、出口側も確認することはできない。
この谷を蛇窪といい、この辺りの旧字名を蛇久保と称していた。

その谷下を通る道路の南側から柴崎緑道が始まる。
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緑道は柴崎公園の北沿いに沿って進んでいる。
深大寺用水東堀はこの辺りから南東方向へ、甲州街道を目指して流れていた。
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《参考文献》
『調布の古道・坂道・水路・橋』 調布市教育委員会編
『対話 深大寺用水』 調布市郷土博物館編
『調布市の歴史』 中西駿郎著
『三鷹の民俗1 野崎』 井之口章次著(三鷹市教育委員会発行)


 
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小金井野水

小金井市南部を流れる野川の支流、野水(野溝ともいう)を取り上げる。
野水という名前は、一般的には窪地からの小流を意味する。
そのため野水と呼ばれる場所はここだけではなく、例えばやや下流の野川公園の
地名は調布市野水となっている。
そのため他と混同しないように、ここでは小金井野水として扱うこととしよう。

小金井野水は小金井市前原地区を流れる小さな流れである。
今でこそ周囲には住宅が立ち並ぶが、おそらく昭和初期頃までは森が広がる武蔵
野の原野的な風景が広がり、小金井野水がその中を流れていたのではないだろうか。
そのような流れであるがために、小金井野水について書かれている文献は見当たら
ないが、小金井市文化財センターの展示パネルの中に、野水について説明してい
るものがあったので、その一部を引用してみよう。

…今は忘れ去られてしまった川に野水(野溝)があります。(中略)水源地(野
水場)は府中市新町2-9の一帯(現府中第五中西)でした。
例えば調布市野水などの地名の残るように、小金井近辺には野水と称する雨期
に氾濫を起こす低地帯が他にもありましたが、この野水は最後まで太古の川とし
ての形態を残したものです。
(中略)野水の流域には蛇窪あるいは蛇窪台という旧地名が残り、野水が蛇行し
て流れる意味かもしれません。


ということで、今回のスタートは上記説明文にある府中市新町2-9とする。
いちょう通りと称する南北の通りの東側一帯の住宅地である。
訪れてみると僅か数十センチとはいえ、周囲からはわずかに窪地となっていることが判る。
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ここを水源として小金井野水が流れ出していたということだろう。
残念ながら、現在は住宅や畑地となっており、流路を見出すことはできない。
しかたなく、東へと向かう道路を歩いていく。
行く手に見えるのは府中第五中学校、この中学校のどこかに小さな小川が流れて
いたのだろうか。
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水路として最初に確認することができるのは。中学校の先のふじの木公園と称する
小さな児童遊園。
ここから東へと水路跡の歩行者道が続いている。
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その歩行者道は100メートルほどで小金井街道へと出てくる。
写真は小金井街道に出てきた場所。
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小金井街道から先、暗渠道が続く。
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続いて新小金井街道を渡り、歩行者道は北東へと向かう。
道路との交差部分には段差があり、スロープや階段が設けられている。
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やがてその歩行者道は東八道路にぶつかる。
東八道路を越えると、小金井野水の水路跡は前原遊歩道という緑道に変わる。
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緑道は東へと向きを転じ、東八道路に並行するように進む。
この遊歩道は舗装されておらず、土がむき出しのままで歩きにくい。
殆どの方は東八道路の歩道を利用するのではないだろうか。
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その先で緑道は、東八道路に飲み込まれてしまう。
仕方なく歩道を150mほど進むと、今度は前原町四丁目遊歩道という名前にな
って現れる。
但しこの遊歩道は100メートルもない蓋暗渠の道路であり、その先は住宅の間の
暗渠(通行禁止)へとなってしまう。
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前原1丁目交差点の北へと回り込むと、小金井野水は石材店の脇で突然、開渠
となって顔を出す。
開渠といっても十数メートルの区間であり、石材店の周囲のここだけ暗渠化を免れ
た感がある。
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この辺りは石材店や仏具店が多いが、多磨霊園が近いためであり、東八道路の
南側には広大な霊園が広がっている。
多磨霊園は大正12年(1923)に開園した我が国最初の公園墓地であり、128
ヘクタール(東京ドーム27個分)という広大な面積を持つ。
霊園内には数多くの著名人が埋葬されており、故人を偲ぶことができる。
写真は「若い人」「青い山脈」などの著作で知られる石坂洋二郎の墓所、東八道
路側の小金井門からも近い。
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先ほどの開渠の場所から一般道を越えて反対側、今度は前原町一丁目遊歩道
が始まる。
先ほどは四丁目、今度は一丁目と、小金井野水の遊歩道は丁目ごとに遊歩道の
名称が変わる。(更に辿るとこの先、二丁目遊歩道となる)
このように名前がコロコロ変わる遊歩道というのも珍しいかと思う。
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前原の住宅の間を進んでいく遊歩道、人とすれ違うことは少ないが、その割には整
備が行き届いている。
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前原2丁目8番付近で緑道は右折する。
かつてこの辺りで、野川沿いを流れていた田用水と合流していたという。
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遊歩道に沿う道路が上り坂となり、段差が生じる。
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一般道との交差部にある橋の痕跡。
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橋跡から数十メートルほど行くと遊歩道は終了してしまう。
さらに住宅街の中を200メートルほどいくと、武蔵野公園に突き当たり、その手前を
左に折れると、野川に架かる小金井新橋に出る。
その小金井新橋のたもとには大きな吐口があり、ここで小金井野水は野川へと合
流している。
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※ ふじの木公園より上流側は推定ルートです。

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横十間川 2

引き続き、横十間川沿いには「水辺の散策路」という散策道が続く。
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大島橋の先、一風変わった橋が見えてくる。
小名木川との交点に架かる小名木川クローバー橋で、四方の川岸からX字状に
架けられた歩行者自転車専用橋である。
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橋の中央に立つと、横十間川、小名木川の両方を見渡すことができ、東京スカイ
ツリーも遠くに望むことができる。
撮影した写真をつなげてパノラマ化してみた。(クリックで4方向表示)
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前項で記載した通り、ここまでが当初(万治2年)に開削された区間であり、ここか
ら先は元禄期に延長された区間である。

クローバー橋を渡ると、大横川水門があり、水が排出されている。
おそらく親水公園内の池の水を排出しているのではないだろうか。
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水門の南側から、横十間川親水公園が始まる。
大横川への合流点まで約2km続く、細長い公園である。
この付近では水上フィールドアスレチックなどもあり、子供たちの良き遊び場となっている。
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清州橋通りが架かる岩井橋、清州橋通り沿いにはかつて境川と呼ばれる堀が存
在していたという。
小名木川から分岐して、中川(現、荒川放水路)へと流れていたという。
昭和5年(1930)に埋め立てられて、道路となった。
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そしてこの岩井橋については、鶴屋南北作『東海道四谷怪談』における第三幕
「砂村隠亡堀の場」の舞台となったところであるという。
作品中で、戸板にくくりつけられた、お岩さんと小仏小平が流れついた場所がこの
岩戸橋の辺りであるという。
この作品自体はフィクションであるが、「不貞をはたらいた男女が一枚の戸板に釘
づけにされて神田川に流された話」「心中者の死体が砂村に流れ着いて大騒動
となった話」を下地にして書かれたものという。

公園をさらに進むとボート池と称する水路が見えてくる。
普段はボートが貸し出されているが、和船友の会による和船乗船体験が行われ
ている日もある。
無料で乗船できて、昔ながらの和船を体験できるのが嬉しい。
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なお、体験会開催日は開催期日が限定されているので、江東区のサイトで日時
を確認してから訪れることをお勧めしたい。

その先、今度は仙台堀川と交差する。
交差地点には、「野鳥の島」と称する島があり、小名木川のときのように両河川を
同時に見渡すことは難しい。
周囲も木々が植えられ、鳥のさえずりも多い。
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旧豊砂橋で葛西橋通りをアンダークロスした後も、さらに親水公園は続く。
公園には池があるが、上流側とはつながっていない。
旧豊砂橋近くに水車のオブジェから、水が供給されているようだ。
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横十間川はこの付近で向きを南から西へと転じ、合流する大横川を目指す。
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その先で再び水流が復活するが、こちらは下水道局木場ポンプ所から放流されて
いる処理水であろう。
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横十間川沿いに再び散策路が続く。
散策道は周囲より数メートルほど高い場所に設けられており、ここが江東ゼロメー
トル地帯であることを実感できる場所でもある。
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平住橋が架かる場所に旧橋の橋名板が保存された記念碑がある。
説明文によると、平住橋は関東大震災の復興事業として、昭和4年(1929)
に架橋されたもの、その後、周囲の地盤沈下に伴い護岸の嵩上げが必要に
なり、昭和34年(1959)に架け替えられ、太鼓橋のような形状になったという。
現在の橋梁は、急勾配解消のために平成21年に架け替えられた。
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更には、その先、富士見橋においても旧橋の鋼材を利用したベンチが設置されている。
このように旧橋がなんらかの形で残され、かつて橋や木場として賑わった川の風景
を紹介する試みは、後世に土地の記憶を伝えるものとして大いに評価したい。
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富士見橋の先で、横十間川は大横川へと合流する。
横十間川への逆流を防ぐためなのか、横十間川を流れてきた水を一度地下へ落
とし、ポンプを利用して大横川へ放流するという形がとられているようだ。
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《参考資料》
『資料館ノート 江戸近郊農漁村の掘割』 江東区深川江戸資料館編


  
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横十間川 1

北十間川から分岐して、江東区を南北に流れる横十間川(延長=3.66km)を
取り上げる。

横十間川の名前は、江戸城方向から見て横に流れていたこと、そして川幅が十間
(約18m)であったことに由来する。
小名木川との交差付近に釜六・釜七という著名な鋳物師が住んでいたことから
「釜屋堀」とも呼ばれたという。

横十間川が開削されたのは万治2年(1659)のことで、徳山五兵衛重政と山崎四
郎左衛門重政によって開削された。
翌年の万治3年、徳山重政と山崎重政両名は、新たに設置された本所奉行の職
任命され、本所一帯の掘割の整備、湿地の埋立てなどを任務とした。
但し、このときの開削は小名木川以北であり、小名木川以南に延伸されたのは、
元禄14年(1701)のことであったという。

横十間川は、北十間川に架かる十間橋の50mほど東側から南へと分岐して始まる。
東京スカイツリーからも700mほどの地点であり、ツリーも大きく望める。
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北十間川の項でも取り上げた歌川広重の名所江戸百景柳しま』を取り上げてみよう。
北十間川と横十間川が交差している場所が描かれ、横十間川に架かる橋は柳
島橋である。
遠くに描かれているのは筑波山、但し方角からするとこの位置には筑波山は望めない。
川の分岐点脇に描かれている建物は「橋本家」という当時の高級料亭とのことだ
が、風光明媚を表現するために、広重はこの位置に筑波山を配したのだろう。
柳島
        (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

江戸名所図会の左端に描かれているのは柳嶋妙見山法性寺、現在でも柳島
橋脇に存在する。
明応元年(1492)建立の日蓮宗寺院であり、江戸期には霊験著しく柳島妙見
と呼ばれ、参詣者も多かったという。
本堂は新しくなっているが、境内には同寺に信仰のあった葛飾北斎や近松門左
衛門の供養碑などがある。
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横十間川を南下していこう。
川とは言っても、もともとは開削された堀(人工河川)であり、仙台堀川との交差
までは直線である。
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分岐点から250mほどいくと、左岸に天台宗の慈雲山龍眼寺がある。
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応永2年(1395)の創建と伝えられ、元禄の頃、全国から萩を集めて多くの萩が
植えられていたことから、「萩寺」として呼ばれて親しまれた。
その様子は江戸名所図会にも描かれている。
現在では、亀戸七福神の布袋尊として親しまれ、参拝客も多い。
また境内にある庚申塔(写真手前)は万治2年(1659)の造立で江東区内最古
のものである。
龍眼寺
江戸名所図会龍眼寺』  (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

その先に今度は臨済宗の瑞亀山長寿寺がある。
臨済宗の寺院で、創建は文明元年(1469)、もとは柳島円命寺と称した。
その後、南本所川端や本所石原町へ移転の後、元禄4年(1691)、当地に戻
ってきたという。
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そして、蔵前橋通りが横十間川に架かる天神橋に達する。
亀戸天神至近の天神橋とあって、欄干にも意匠がこらされている。
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さきほどから寺社紹介が続いて恐縮ではあるが、亀戸天神社を紹介しないわけに
はいかないだろう。
寛文2年(1662)、菅原道真公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を創り、祀ったのが
創建と言われる。
湯島、谷保とともに関東三天神の一社とされ、学業成就の祈願に多数の参拝客
が訪れるころで有名だ。
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江戸名所図会にも横十間川や天神橋が描かれている。
亀戸宰府天満宮其二
江戸名所図会亀戸宰府天満宮 其二』  (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

天神橋南側付近からの光景。
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やがてJR総武線と交差する。
その手前には、ちょっとしたテラスがあり、ベンチが設置され休憩することもできる。
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JR線と交差した後は、首都高速7号線と交わる。
首都高の下には竪川が流れ、かつては横十間川と竪川の交差地点という風景
が見られたのであろうが、今は竪川は暗渠となりその面影を想像するのは厳しい。
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清水橋を東へ行くと、住宅街の中に大島愛宕神社が鎮座する。
創建年代は不明、もと本所中之郷(墨田区)の成就寺境内に祀られていたもの
を、村民の移住とともに当地に遷座したものだという。
小林一茶が40代前半の一時期、愛宕神社に仮住まいしていたとされ、境内には
一茶の句碑も設置されている。
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先ほどの首都高辺りから、横十間川の川沿いには水辺の散策路と称する木造
の遊歩道が設置されている。
遊歩道には散策する付近住民のほか、亀戸・錦糸町方面へ往来する自転車が
通り、往来は激しい。
川の西側に広がる公園は猿江恩賜公園である。
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その猿江恩賜公園、もとは猿江貯木場で享保18年(1733)に幕府の材木蔵
として造られたのが始まりで、明治以降は皇室の御用材の貯木場として御木蔵
と呼ばれていたという。
現在は14.5haの大きな公園として、区民に親しまれている。
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《参考資料》
『資料館ノート 本所の開発とふたつの大動脈』 江東区深川江戸資料館編
『ゆこうあるこう こうとう文化財まっぷ』 江東区文化観光課編


  
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渋川

武蔵小杉の西、二ヶ領用水川崎堀が南武線と交差した先で、渋川が川崎堀か
ら分岐する。
渋川は、二ヶ領用水の水を鶴見川支流の矢上川へと流すために開削した人工
河川であり、いわゆる悪水路としての位置づけであったのだろう。
河川法上では、鶴見川水系の一般河川として規定されているが、本ブログでは
二ヶ領用水の一部として取り上げたい。

川崎堀から渋川へと分岐する地点、左の水門から渋川が始まる。
川崎堀を流れてきた水の6~7割は渋川へと流れているようだ。
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その水門の先から下流方向を見た風景、川沿いには桜が植えられており、この付
近の桜は今井桜と呼ばれている。
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その渋川分岐点には「渋川と水車」と称する説明板(川崎歴史ガイド)があり、
この辺りには明治中頃まで用水を利用した水車が複数あり、精米・製粉に使われ、
その製粉により近隣の素麺業に利用されたという。。
渋川が二ヶ領用水に落ち込むこの地にも、嘉永7年(1854)、今井村の源太郎
によって造られた「耕地の水車」と呼ばれる水車があった。

分岐点の脇、川崎堀と渋川の間には、曹洞宗の今井山大乗院がある。
寛永2年(1625)の創建、開山は鶴見区下末吉にある寶泉寺の盧州呑匡、開
基は松平土佐守の息女という。
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大乗院から渋川沿いには、親水遊歩道が続く。
とても気分よく歩ける遊歩道となっており、近年の河川改修事業により設置された
もののようだ。
今までいくつもの親水化された遊歩道を見てきたが、高水準の部類に入るのでは
ないかと思う。
かつての渋川には生活汚水が流れ、汚染河川だったようだが、見事に復活を成し
遂げている。
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また渋川の地下50メートルには、口径10メートルの渋川雨水貯留管が埋設され、
流域の雨水浸水被害を防いでいる。

南橋の橋詰に右岸から合流する暗渠があった。
今井堀の末流かとも思ったが、調べてみてもよくわからなかった。
機会があれば、図書館等で資料をあたってみたい。
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法政二高沿いを流れる渋川、遊歩道は東急線と交差する手前の矢倉橋付近まで続く。
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東急東横線・目黒線との交差地点の前後では、渋川の上に駐輪場が設置されている。
ここから元住吉駅が近い。
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その元住吉駅近くに住吉神社が鎮座する。
創建年代は不明、もとは矢倉神社と称していたが、明治42年(1909)、住吉村
内の十社を合祀し、当時の村名をとって住吉神社と称したという。
(参詣者が多いのは、正月の訪問であったため)
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ちなみに東急線の元住吉という駅名は、大正15年(1926)開業の前年、住吉村
が中原町に合併されて住吉という地名がなくなったため、住民から「元住吉」として
駅名に旧村名を残すことが要望されたことに由来する。(現在の地名は中原区木月)

綱島街道を過ぎると、再び開渠となる。
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川沿いには桜並木が続く。
先ほど渋川上流部の桜を「今井桜」として紹介したが、この付近では「住吉桜」と
命名されており、川崎市内の桜の名所の一つに数えられて、また「かながわの花の
名所100選」にも選ばれている。
昭和26年、地元の有志により約2kmにわたって植樹されたそうだ。
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東海道新幹線と交差する。
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その交差地点の西側にあるのが真言宗の木月山大楽寺
創建年代は不明、天文6年(1741)寂の法印智法が中興開山したとされている
ので、それなりの古刹であろう。
川崎七福神の1つとされ布袋尊を祀るほか、玉川八十八ヶ所の十六番霊場とも
なっている。
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新幹線と交差した先、石神橋の脇に小さな祠がある。
石神宮という神社で、寛永年間(1624~45)に建てられたものらしい。
説明文には、「古来、各村々には神様を祀って、疫病が入らぬよう、又村内の安
泰を祈るために道祖神を祀り、石神宮もその一柱であります。
」と記載されている。
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石神橋を過ぎると、矢上川との合流地点は近い。
2016-01-04_70.jpg

そして渋川は矢上川に合流する。
写真は矢上川下流から、合流地点を撮影したもの。
渋川のスタート地点に近い武蔵小杉のビル群が遠くに見えた。
2016-01-04_78.jpg

《参考資料》
『川崎歴史ガイド 二ヶ領用水』 川崎市文化財団編



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Author:リバーサイド
善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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