府中用水 妙観堀(矢崎都市下水路)

妙観堀は、JRの府中本町駅西口で府中用水の本流から分かれ、南へと向かう
分水堀である。
以前はよく溢れる堀であったため、昭和39年(1964)、下流部を矢崎都市下水
として整備、矢崎排水樋管を通して多摩川へと流されるようになった。

府中本町駅からJR線に沿って、幅の広い歩行者専用道が南へと向かっている。
ここが妙観堀であり、現在は暗渠となっている。
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200mほど行くと左手に矢崎町防災公園が見えてくる。
その手前、左から別の遊歩道が接続されている。
ここは水路跡ではなく、国鉄下河原線の東京競馬場前駅の跡地である。
中央線の国分寺駅から分岐し、中央線方面からの競馬場の観客を輸送してい
たが、昭和48年(1973)、武蔵野線開通とともに廃止され、その役目を府中本
町駅へと譲った。
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矢崎町防災公園の南側を東へ250mほど行くと、三千人塚がある。
分倍河原の戦い(新田川の項参照)で亡くなった三千人を埋葬したという伝承が
あるが、東京都教育委員会の説明板によると、そうではないらしい。
その一部を引用してみよう。
昭和30年に地元の郷土史家により、この塚の西側が発掘調査され、鎌倉時代
から南北朝時代の蔵骨器(四個)が出土しています。
平成17年に学術調査を行ったところ、塚の東側から、石にお経の文字を写した
「礫石経」が大量に出土しました。
この調査により、現存の塚の高まりは、元弘三年(1333)の分倍河原の合戦で
亡くなった三千人の戦死者を埋葬したという伝承とは関係がなく、江戸時代に造
られたものであることがわかりました。

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妙観堀の歩行者専用道は線路沿いに500mほど続き、中央道との交差手前で
終わる。
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中央道を越えると、JR線と交差、東側へと出る。
そこには鉄橋があるが、それまでは暗渠であるため、鉄橋があることは気づき
にくい。
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鉄橋の先、矢崎都市下水路が開渠として出現する。
前述の通り、排水路として造られたものであり、三面コンクリートの壁に囲まれ
た無機質な水路である。
農繁期には府中用水本流などからの水も流れるが、農閑期でもサントリーの
ビール工場からの排水も流れているようだ。
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残念ながら川に沿って歩くことは出来ない。
この先、西から雑田堀が合流しているが、その吐口もみることはできない。

東の府中街道へと迂回し南下していくと、右へと分かれる細い道路がある。
この道路は大丸街道と称する旧道で、分岐点にある碑には、大丸村(多摩川
対岸の稲城市)へ通じることに由来すること、昭和16年(1941)に是政本橋
が開通するまでは、多摩川を渡るには是政渡しが利用されていたことが記載
されている。
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矢崎都市下水路の水量は多くはない。
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都市下水路はスクリーン施設(ゴミ除去)で500mほどの開渠区間を終える。
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その脇で二ヶ村緑道と交差する。
この場所は妙観堀と新田川二ヶ村用水三ヶ村用水が複雑に絡み合ってい
た場所のようであるが、昭和初期の地形図を見る限り、妙観堀は新田川に合流
した後、二ヶ村用水、三ヶ村用水へと水を分けていたようだ。
現在、矢崎都市下水路は緑道の下を多摩川へ向かって突き抜けている。
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そこから数分ほどあるくと多摩川の土手に出る。
そこには矢崎排水樋管の水門がある。
水路は河川敷を流れ、その先の多摩川との合流地点へと向かっている。
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《参考文献》
『府中用水』 くにたち郷土博物館・府中用水土地改良区編



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府中用水 雑田堀

府中用水の分水路の一つ、雑田堀(ぞうだぼり)を追ってみた。
雑田堀は府中市分梅町2丁目で府中用水本流から分かれ、南町や矢崎町を通
って、矢崎都市下水路(旧妙観堀)へと注ぐ。

府中用水本流(市川)が京王線と交差する地点から、西(上流方向)へ進むこと
150m、南へと分かれる水路が雑田堀の始まりである。
水路沿いには雑田堀緑道が設けられており、京王線との交差前後で途切れる
ものの、中央高速道路までの区間に緑道が沿っている。
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そのすぐ先、東へと水を分ける分水口を見ることができる。
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緑道沿いに100メートルほど進んだ後、雑田堀は左へと曲がって私有地の間
へと入り、水路を追うことは出来なくなる。
京王線とはその先で交差しており、電車が雑田堀に架かる小さな鉄橋を走る。
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雑田堀を追うためには京王線を東へと渡らなければならないが、近くに踏切は
無く、南の中央道の側道まで大きく迂回をしなければならない。
京王線の東側から再び雑田掘緑道が始まり、府中第三小学校の南を通っていく。
小学校脇には地下水をくみ上げるポンプ場があり、水量が少ないときは水を
補給しているようだ。
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かえで通りとの交差地点の脇にある小さな祠、鳥居には大六天の文字がある。
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そのすぐ先の橋から雑田堀は暗渠となるが、その橋の下で堀は二手に分かれ
ている。
写真右手が本流。
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中央道の下を暗渠となって通る雑田堀。
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中央道の先、鉄板蓋の暗渠となって住宅街の中を南東へと進む水路。
残念ながらフェンスでその先には進めない。
ここでも迂回を強いられることになる。
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住宅街を抜けた先には、水田風景が広がる。
雑田堀は、道路の歩道下を暗渠となって進んでいる。
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先ほど中央道の北で分けた分水路、こちらは清らかな流れとなって、周囲の田
畑に水を供給しているようだ。
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サントリーの武蔵野ビール工場が見えてくると、雑田堀は顔を出す。
工場の手前にはビオトープのようなエリアがあり、そこではアメンボが水面を滑
走する姿が見られる。
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ビール工場の南側に沿って、雑田堀は進んでいく。
写真の右側の緑道は新田川緑道
雑田堀と新田川が並行するようになっているが、以前は雑田堀はもっと北側を
流れていたようで、ビール工場の建設に伴い流路が変更されたようだ。
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緑道沿いを百メートルほど進むと柵によって行く手を遮られ、その先流れを追う
ことは出来ない。
三たび、迂回をすることになる。
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雑田堀を流れてきた水の殆どは、工場の東側を通るふるさと通りの下の下水管
に落とされているようだ。
しかしながら、一部はその東の農地脇を流れてJR南武線・武蔵野南線の東へ
と通じている。
写真はJRの線路の手前で顔を出す小さな流れ。
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農作業をされている方にお話を伺うことができたが、水が流れているのは灌漑
期のみで、農閑期は荒天時などに雑排水が流れる程度だという。

JR線の東側は新しい住宅地となっており、水路を見出すことは困難である
が、矢崎都市下水路旧妙観堀)への合流手前の数メートルだけ、その姿を
確認することができる。
写真のコンクリート壁の向こうは都市下水路、ただ残念なことに都市下水路
の周囲は住宅が建ち並び、水を落とす姿を見ることはできない。
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《参考文献》
『府中用水』 くにたち郷土博物館・府中用水土地改良区編


  
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府中用水 新田川

新田川は、JR南武線の西府駅の南側で。府中用水本流から分かれ、府中市
分梅町や南町を経由して郷土の森公園に達し、さらに是政まで流れる分水路
である。
分梅用水、中川、大新田といった別名もあったらしい。
新田川の本流の殆どの部分は新田川緑道として緑道化されており、快適に歩
くことができる。
府中用水を流れてきた水は、その多くをこの新田川へと分ける。
特に農閑期にあたる秋から春にかけては、本流を流れる水(青柳崖線や立川
崖線から湧き出て、矢川などを経て集められる)は、全てこの新田川へと流される。
西府の崖下で、新田川は府中用水本流から分かれて南東へと向かう。
写真左へ向かう道が本流、新田川は右の道路沿いに進む。
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ここにはカマド堰と称する堰があったという。
下の写真は昭和14年の分流点の写真、崖線沿いに府中用水が流れているの
がよくわかる。
(下流の金塚桜広場に設置されている説明板より)
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歩道沿いに水路が設けられている。
東側にはNECの府中事業場がある。
休日であったので閑散としているが、平日の朝夕には多くの従業員がこの歩道
を辿っていくのだろうか。
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事業場の門がある日新町一丁目東交差点から、新田川緑道が始まる。
親水路に沿って歩ける緑道であり、行き交う人々は多い。
実は新田川そのものは、昭和54年(1979)に完成した第4都市下水路として
暗渠化されており、その一部を親水路へと流している。
説明板によると、都市化が進むにつれてたびたび浸水が発生するようになり、
都市下水路となったとのこと。
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その先で新府中街道と交差するが、その南には真言宗豊山派の正光院がある。
山門前には「小野学校発祥之地」と書かれた石碑がある。
これは明治6年(1873)、屋敷分・本宿・四谷・中河原の4村が合同で「育成学
舎」をこの正光院に設立、翌年、「小野学校」と改称した。
小野学校は現在の府中第5小学校の前身にあたる。
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新田川緑道は新府中街道を渡ったあと、緩やかに南へとカーブし、その後、中
央高速と交差する。
ただし、第4都市下水路は新府中街道をそのまま南下し、ショートカットしている
ようだ。
その都市下水路は、中央高速の高架下で顔を見せる。
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中央高速と交差した先も新田川緑道は続いている。
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緑道を進んでいくと、分倍河原古戦場碑が立っている。
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ここで碑の前に立っている東京都教育委員会の説明板を引用して、合戦に
ついて触れておこう。
文永(1274)、弘安(1281)の役を経験した頃、北条執権政治は根底からゆる
ぎ御家人救済の方法として徳政令を発布したが、これがかえって政権破滅の
速度を早めた。
元弘三年(1333)5月、新田義貞は執権北条高時を鎌倉に攻めるため、上野・
武蔵・越後の兵を率いて上野国新田庄から一路南下し、所沢地方の小手指ヶ
原で北條方の副将長崎高重・桜田貞国を破り(5月11日)、さらに久米川の戦
で優勢に立った。
北条方は分倍に陣を敷き、北条泰家を総帥として新田勢を迎撃した。
新田勢は敗れて所沢方面に逃れたが、この時武蔵国分寺は新田勢のために
焼失させられたという。
その夜(5月25日)、新田勢に三浦義勝をはじめ相模の豪族が多く協力し、
16日未明再び分倍の北条勢を急襲し、これを破って一路鎌倉を攻め22日
に鎌倉幕府は滅亡した。
分倍河原の戦いでは新田方20万7千、幕府方10万(Wikipediaによる)と
いう軍勢であったといわれており、この辺りに多数の兵士が入り乱れるよう
にして戦ったのであろう。
なお、分倍河原では、室町時代の享徳4年(1455)にも、足利成氏(鎌倉公
方勢)と上杉顕房(関東管領勢)との間で合戦が行われており、享徳の乱
(1455~83)の引き金ともなった。
水路が緑道沿いに続く。
この辺りは新田川分梅公園と称されているようだ。
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京王線を越えるために、中央道沿いへと迂回する必要があるが、南町小学校
から再び緑道が始まる。
緑道から1ブロック南の住宅街の道路も新田川の分水路暗渠であり、「用水」
と書かれたマンホールがそれを物語る。
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緑道を進んでいくと、その先にあるのがしょうぶ池、六月上旬に訪れたので、池
にはショウブが鮮やかに咲いていた。
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緑道沿いの水路はこのしょうぶ池までであり、そこから先の区間、新田川は完
全な暗渠(緑道下には都市下水路が通る)となる。
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旧下河原線の線路跡である下河原緑道と交差し、サントリーのビール工場脇に
達すると、短い区間ではあるが水路が左側を流れる。
ただし、この水路は新田川ではなく、雑田堀という別の府中用水の分水路である。
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新田川は右にカーブし、郷土の森公園へと入る。
交通公園やグラウンドも併設されている大きな公園だが、隣接する郷土の森博

物館に立ち寄ってみる。
博物館は、広い常設展示のほか、旧府中町役場庁舎などの貴重な建築物を移
築して保存している。
プラネタリウムも併設されており、来訪者も多く賑わっている。
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常設展示もかなり充実したものであるが、国府や府中宿、大國魂神社などの展
示が中心で、府中用水に関する展示が殆どみられないのが残念だ。
屋外展示の中で、水に関するものを取り上げておこう。
下の写真は府中市寿町1丁目の埋蔵文化財の発掘調査で見つかったまいまい

ず井戸を想定復元したもの。
渦巻状の道を下って水を汲む方式の井戸で、武蔵野や伊豆諸島に多く見られ
たという、
JR青梅線の羽村駅北口にあるまいまいず井戸は有名である。
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現代の新田川本流ともいうべき第4都市下水路は。公園南側の野球グラウンド
まで南下した後、グラウンドの地下を東進し、その東側にある
是政排水樋管で多摩川に放水される。
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ただ、昔の地図を見ると新田川は多摩川に合流せず、さらに東へと向かっている。
郷土の森公園の東にある金塚桜広場では、かつての堀が再現されており、親
水化が図られている。
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金塚原広場の先は、二ヶ村緑道としてさらに東へと向かう。
緑道の名は下流の二ヶ村用水から採用されたものであろうが、後述の旧極楽
橋までは、新田川の区間である。
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緑道は南武線および武蔵野南線の鉄橋を潜る。
鉄橋の下に手が届きそうな光景である。
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鉄橋から100メートルほどいくと、左側から矢崎都市下水路旧妙観堀)が近
づいてくる。
その先の旧極楽橋付近で新田川は妙観堀と合流し、二ヶ村用水へと注いでいた。
また三ヶ村用水もこの地を通り、水路が複雑に絡み合っていたようだ。
緑道となってしまった現在では、それらの水路の関係を想像することはちょっと
難しいかもしれない。
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最後に新田川沿いの分水路群を写真とGoogleMapで紹介しておこう。
参考文献として挙げた『府中用水』の地図をもとに水門堀、代官堀、新堀、車堀
といった水路を辿ってみた。
(Mapでは新田川本流を太線で、その他の支流を細線で示した。)
周辺の水路は多岐に分かれて流れていき、また合流するという非常に複雑な
ネットワークを構成している。
地図に示した分水路はそんな中でも主要な部分だけであり、この他にも小さな
水路が網の目状に張り巡らされている。
思いもよらない場所で資料には記載されていない水路に出くわすこともあり、
その全てを把握することはかなり困難なことだろうと感じた。
それでも水田の脇を流れる開渠を眺めたり、住宅の間を抜けていく暗渠を追い
かけていくことに面白さを感じた。
水路好きの方には、一度この地を訪れることをお勧めしたい。
(写真をクリックすると拡大表示します。)
新田川支流1
新田川支流2
《参考文献》
『府中用水』 くにたち郷土博物館・府中用水土地改良区編
『府中市内旧名調査報告書 道・坂・塚・川・堰・橋の名前』 府中市教育委員会編

目次

府中用水 谷保分水

府中用水の取水口から辿ること600m余り、中央高速道路との交差手前で流れ
が二手に分かれる場所がある。
谷保堰と呼ばれる堰であり、写真右手が府中用水本流、左手が今回取り上げる
谷保分水である。
谷保分水は中央高速を潜らず、高速道路の北側を流れ、旧谷保村の水田を潤
している。
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谷保分水を追いながら250mほど歩くと、北から清水川(写真左)と矢川(同右)
が合流してくる。
矢川おんだしと呼ばれる合流地点である。
清水川は青柳崖線のママ下湧水を水源とする400mほどの短い河川、矢川は
矢川緑地保全地域など立川崖線に湧き出る水を集めて流れてくる河川である。
湧水ゆえに両河川の水質はとても清らかだ。
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農閑期には多摩川から取水されず水が流れない府中用水だが、矢川や清水川
からの水は年間を通して用水路を流れる。

合流した水を加えて、満々と湛えて流れていく谷保分水。
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その先にあきすい門と称する水門が右手に設置されており、あきすい堀が南へ
と分かれる。
農閑期、矢川や清水川からの水は全てあきすい掘へと流れていく。
そのため、この先の谷保分水は秋から春の期間、空堀となっている。
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あきすい堀は谷保分水から分かれた後、中央道の南へと流れていく。
途中には寺之下親水公園が設置されており、あきすい堀を流れる水と触れ合う
こともできる。
その後、あきすい堀は日野バイパス付近で府中用水本流と合流する。
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谷保分水に戻って先へ進もう。
谷保分水はヤクルト中央研究所の脇を進んでいく。
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分水は住宅や田畑の中を進んでいくため、今回の記事では周辺の史跡紹介は
ないが、分水沿いから歩いて数分の場所にくにたち郷土文化館下の川の項
で触れた城山公園などもあるので、立ち寄ってみるのもよいだろう。

ヤクルト研究所の東側は区画整理が行われたせいか、一時的に谷保分水は暗
渠となってしまっている。
その場所には弥五郎島堰と呼ばれる堰があり、三田家堀と田中堀という二つの
流れに分かれるが、残念ながら堰は整地された地の下となってしまったようだ。

三田家堀はほぼ真っ直ぐ東へと進み、田中堀はその北を円弧を描くように流れ、
国立インター脇で再び合流する。
堀の名の由来はわからないが、恐らくこの付近の名主や農家の名前であろう。
それぞれの堀を追ってみることにしよう。

まずは三田家堀、区画整理された場所を過ぎると水路が顔を出し、住宅の間
を蛇行しながら抜けていく。
護岸工事も行われておらず、まるで府中用水の原風景を見ているようだ。
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その一画を過ぎると、三田家堀は国立市立第三中学校の南に沿って流れて国
立インターの進入路の脇へと達する。
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その先は暗渠となって進んでいくが、おそらく、この辺りはインター設置に伴って
流路が付け替えられたのではないだろうか。

続いて田中堀を辿ってみよう。
田中堀は北へと迂回をしていくため、三田家堀より数百メートルほど長い。
水路の周囲には田畑が多くあり、用水から水を取り込んだ田園風景が広がる。
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畑と住宅の間を流れていく田中堀。
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その先、南養寺の崖下の湧水を水源とする下の川の支流(城山支流(仮))へと
通じる水路に水を分ける。
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城山支流では、湧水の水量は殆ど無い(水は途中で地中に浸み込んでしまう)
ため、特に城山公園から下流では水の流れはない。
そこで田中堀から水を分け、供給しているのである。
勿論、この供給も農繁期だけのことで、農閑期、城山支流は空堀となっている。

水が張られた田圃と谷保分水、写真手前に小さな堰が見える。
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その堰はというと・・・そこから左へと分水し、分かれた水路住宅の前を進んでいく。
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その先、150mほどで国立インター脇に達し、西から流れてきた三田家堀と合流、
再び1本の水路となって東南方向へと向かう。

谷保分水は国道20号線(日野バイパス)を渡り、東京多摩青果市場の脇を流れる。
市場沿いの道路では水の流れが道の左右に分かれている。
(写真右手のガードレール下にも水路がある)
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日野バイパスから300メート利ほど行くと、今度は都道20号線と交差、谷保分水は
民有地の中へと入っていく。
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しかたなく迂回すると、田圃の脇を流れていく水路に出会う。
用水は写真奥の樹木沿いへとながれていく。
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そして谷保分水は立川崖線沿いを流れる下の川(写真手前の水路)に合流して
終わる。
下の川の上板橋から数十メートルほど上流側の地点である。
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しかし、下の川沿いの遊歩道から近づいてみると谷保用水は下の川に水を落と
していない。
どうやら、現在、谷保用水の水が地下の下水路へと流されているようだ。

《参考資料》
『府中用水』 くにたち郷土博物館・府中用水土地改良区編


  
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Author:リバーサイド
善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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