呑川 1
呑川は世田谷区桜新町付近を水源とし、深沢、緑ヶ丘、池上、蒲田などを経て、
海老取運河へと注ぐ全長14.4kmの二級河川である。
上流は暗渠で、その殆どの区間が緑道となっている。
東急目黒線を越えた先から開渠となるが、コンクリート護岸が続く無機質な水
路となっており、開渠とはいえ上流部とは対象的である。
途中の大田区による掲示板には「かつての呑川が水田の灌漑水路として重要
な役割を担っていた」との記載がある。
ただ、下流の蒲田付近には多摩川から引かれた六郷用水が張り巡らされてい
ることを考えると、さほど多くの水量は多くなかったのかもしれない。
東急田園都市線の桜新町から南へ200mほど行くと、住宅街の道路に突然、
歩道が現われる。
ここが呑川として確認できる最上流の地点である。

桜新町駅がある都道にはかつて品川用水が通っており、その品川用水からの
落ち水もあったとも言われる。
数百メートルほど行くと国道246号線と交差する。
その場所に新櫻橋の古い欄干が残っている。
現在はゴミの集積所となっており、カラス防止ネットが掛けられているのが残念
だが、横にある網の中を見ると、暗渠となった川が少しだけ顔を覗かせている。
(但し、水は流れていない)

国道を渡るには、少し離れた歩道橋や横断歩道に迂回する必要がある。
もう少し足を延ばして、久富稲荷神社に立ち寄ってみる。
久富稲荷神社の創建は不明だが、四百年以上前に建立されたとされる。
「新編武蔵国風土記稿」には新町村五十戸の鎮守と記されているという。

境内にはふくろうの像があるが、昭和に中頃、境内の古木にふくろうが住みつ
き、姿を見たり鳴き声を聞くと願いが叶うという噂があったことから、祀ったもの
である。
国道246号線から下流は、呑川親水公園となる。
地元住民の意見を取り入れて造られた親水空間で、人工水路が900mほど続く。
ここに流れる水は周囲の湧水を貯水槽に集めたもので、その水を循環させている。

ここを歩いた時は桜が咲き始めた頃であった。
水路の両岸に見事な桜並木が続いている。

テラスが水路に張り出して、ベンチも設けられている。

親水公園は駒沢通りとの交差する地点で終わる。
そして、その東側に真言宗智山派の薬王山医王寺がある。
創建は寛永2年(1625)、谷岡又左衝門尉重久という人物が開基、僧正霊応
大和尚が開山したとされる。

駒沢通りを過ぎると、暗渠となり呑川緑道が続く。
こちらも桜並木が続き、その並木は世田谷区から目黒区へと入り、延々と緑ヶ
丘近く(ほぼ暗渠が終わる地点)まで続く。
「桜並木の呑川と緑道」として「せたがや百景」にも指定されている。

駒沢通りの南側、緑道の右手の坂を上っていくと深沢神社の境内が広がる。
創建は永禄7年(1564)、伊豆国の三島神社の分霊を勧請したのが始まりと
される。
元々は三島神社と称していたが、大正4年(1915)、深沢村内の天祖神社。
伊勢神社などを合祀して深沢神社と改称した。

緑道にはかつての橋名を称したモニュメントが建てられている。
こちらは宮前橋の名を記した石柱。

その先、東深沢小学校の手前で下山橋の欄干が残されている。

呑川緑道は、その先もS字カーブを描きながら東へと進む。

呑川の脇は坂道となっており、谷筋になっていることが判る。

更には緑道内には土嚢の保管箱も設置されている。
荒天時にはこの谷筋に雨水が集中してしまうのであろう。

しばらく行くと、北側から駒沢支流が合流する。
駒沢支流は駒沢大学の東側付近を水源とし、現在の駒沢オリンピック公園の
中を通って、この地に至る。
駒沢公園からここまでの間は緑道として整備されており、呑川本流の緑道と
ともに都立大学駅と駒沢公園を結ぶルートとして利用されている。

この先、呑川北側に4つの寺社が建つエリアがあるので、立ち寄ってみた。
まずは真言宗の氷川山虚空蔵寺金蔵院。
慶長5年(1600)頃に頼栄上人によって創建されたと伝えられている。
隣接の八雲氷川神社の別当寺であった。
明治4年(1871)、境内の建物を使用して目黒区内で初めての学校が創立さ
れた。(後の八雲小学校)

その八雲氷川神社は金蔵院の東隣にある旧衾村の鎮守。
創建年代は不明だが、内陣に文化14年(1817)奉納の記載があるので、少
なくともそれ以前の創建である。
「癪封じの神」として広く信仰され、遠く下総や相模からも参詣人がつめかけ、
栄えたという。

こちらは、曹洞宗の泰陽山東光寺。
貞治4年(1365)、当時の世田谷城主吉良冶家が10歳で早世した子息の菩提
を弔うために建てた寺院である。
当初は「東岡寺」と称し臨済宗だったが、天正19年(1591)頃に東光寺と改め、
さらには曹洞宗へと改宗した。

さらにその東側には、天正18年(1590)、日信上人を開山として開かれた日蓮
宗の小杉山常円寺がある。
境内には幹まわり4m。高さ25mの大イチョウがあり、目黒区の保存樹第一号
となった。

古刹が集中するということは、呑川沿いのこの地域に古くから大きい集落があ
ったと考えていいかもしれない。
海老取運河へと注ぐ全長14.4kmの二級河川である。
上流は暗渠で、その殆どの区間が緑道となっている。
東急目黒線を越えた先から開渠となるが、コンクリート護岸が続く無機質な水
路となっており、開渠とはいえ上流部とは対象的である。
途中の大田区による掲示板には「かつての呑川が水田の灌漑水路として重要
な役割を担っていた」との記載がある。
ただ、下流の蒲田付近には多摩川から引かれた六郷用水が張り巡らされてい
ることを考えると、さほど多くの水量は多くなかったのかもしれない。
東急田園都市線の桜新町から南へ200mほど行くと、住宅街の道路に突然、
歩道が現われる。
ここが呑川として確認できる最上流の地点である。

桜新町駅がある都道にはかつて品川用水が通っており、その品川用水からの
落ち水もあったとも言われる。
数百メートルほど行くと国道246号線と交差する。
その場所に新櫻橋の古い欄干が残っている。
現在はゴミの集積所となっており、カラス防止ネットが掛けられているのが残念
だが、横にある網の中を見ると、暗渠となった川が少しだけ顔を覗かせている。
(但し、水は流れていない)

国道を渡るには、少し離れた歩道橋や横断歩道に迂回する必要がある。
もう少し足を延ばして、久富稲荷神社に立ち寄ってみる。
久富稲荷神社の創建は不明だが、四百年以上前に建立されたとされる。
「新編武蔵国風土記稿」には新町村五十戸の鎮守と記されているという。

境内にはふくろうの像があるが、昭和に中頃、境内の古木にふくろうが住みつ
き、姿を見たり鳴き声を聞くと願いが叶うという噂があったことから、祀ったもの
である。
国道246号線から下流は、呑川親水公園となる。
地元住民の意見を取り入れて造られた親水空間で、人工水路が900mほど続く。
ここに流れる水は周囲の湧水を貯水槽に集めたもので、その水を循環させている。

ここを歩いた時は桜が咲き始めた頃であった。
水路の両岸に見事な桜並木が続いている。

テラスが水路に張り出して、ベンチも設けられている。

親水公園は駒沢通りとの交差する地点で終わる。
そして、その東側に真言宗智山派の薬王山医王寺がある。
創建は寛永2年(1625)、谷岡又左衝門尉重久という人物が開基、僧正霊応
大和尚が開山したとされる。

駒沢通りを過ぎると、暗渠となり呑川緑道が続く。
こちらも桜並木が続き、その並木は世田谷区から目黒区へと入り、延々と緑ヶ
丘近く(ほぼ暗渠が終わる地点)まで続く。
「桜並木の呑川と緑道」として「せたがや百景」にも指定されている。

駒沢通りの南側、緑道の右手の坂を上っていくと深沢神社の境内が広がる。
創建は永禄7年(1564)、伊豆国の三島神社の分霊を勧請したのが始まりと
される。
元々は三島神社と称していたが、大正4年(1915)、深沢村内の天祖神社。
伊勢神社などを合祀して深沢神社と改称した。

緑道にはかつての橋名を称したモニュメントが建てられている。
こちらは宮前橋の名を記した石柱。

その先、東深沢小学校の手前で下山橋の欄干が残されている。

呑川緑道は、その先もS字カーブを描きながら東へと進む。

呑川の脇は坂道となっており、谷筋になっていることが判る。

更には緑道内には土嚢の保管箱も設置されている。
荒天時にはこの谷筋に雨水が集中してしまうのであろう。

しばらく行くと、北側から駒沢支流が合流する。
駒沢支流は駒沢大学の東側付近を水源とし、現在の駒沢オリンピック公園の
中を通って、この地に至る。
駒沢公園からここまでの間は緑道として整備されており、呑川本流の緑道と
ともに都立大学駅と駒沢公園を結ぶルートとして利用されている。

この先、呑川北側に4つの寺社が建つエリアがあるので、立ち寄ってみた。
まずは真言宗の氷川山虚空蔵寺金蔵院。
慶長5年(1600)頃に頼栄上人によって創建されたと伝えられている。
隣接の八雲氷川神社の別当寺であった。
明治4年(1871)、境内の建物を使用して目黒区内で初めての学校が創立さ
れた。(後の八雲小学校)

その八雲氷川神社は金蔵院の東隣にある旧衾村の鎮守。
創建年代は不明だが、内陣に文化14年(1817)奉納の記載があるので、少
なくともそれ以前の創建である。
「癪封じの神」として広く信仰され、遠く下総や相模からも参詣人がつめかけ、
栄えたという。

こちらは、曹洞宗の泰陽山東光寺。
貞治4年(1365)、当時の世田谷城主吉良冶家が10歳で早世した子息の菩提
を弔うために建てた寺院である。
当初は「東岡寺」と称し臨済宗だったが、天正19年(1591)頃に東光寺と改め、
さらには曹洞宗へと改宗した。

さらにその東側には、天正18年(1590)、日信上人を開山として開かれた日蓮
宗の小杉山常円寺がある。
境内には幹まわり4m。高さ25mの大イチョウがあり、目黒区の保存樹第一号
となった。

古刹が集中するということは、呑川沿いのこの地域に古くから大きい集落があ
ったと考えていいかもしれない。


スポンサーサイト