瑞穂町の狭山池を水源とし、立川市柴崎町で多摩川に合流する延長14.5km
の
残堀川を歩いてみた。
元々、残堀川は狭山丘陵の湧水を集めて立川断層沿いに流れ、矢川へ流れ
込んでいたという。
玉川上水が開通した際、上流を狭山池と接続し、また伊奈平橋付近から先の
流路を変更し、玉川上水の助水として活用された。
明治以降、川の水が汚染されたことを理由に玉川上水から切り離され、多摩
川までの流路が開削された。
(流路変更については、次項で紹介することとしたい)
残堀川の川名の由来としては、地区名から名付けられた説、大雨時に川が荒
れ狂う様から名付けられた説など諸説あるようだが、狭山池の「
蛇喰い次右衛
門の伝説」に由来(蛇堀川から残堀川へ名前が変わった)するものがよく紹介さ
れている。
その蛇喰治い次右衛門の伝説について、狭山池の説明板の文章を引用して紹
介しよう。
昔、狭山池は「筥ノ池」と呼ばれ、18町歩(17.8ha)もある大きな池でした。
とても暑いある日、百姓の次右衛門が「筥ノ池」で水浴びをしました。
すると小さな蛇が絡みついてきました。必死で放そうとしますが、さらに体を
締め付けてきます。
力持ちの次右衛門はその蛇をつかみ噛みつきました。
途端に空は大荒れとなり、小さな蛇はたちまち大蛇となり、傷口からは血が
七日七夜流れ続けました。
退治された蛇とともに池の水は枯れ、小さな池となりました。
その時の水の流れが、さながら大蛇のようであった様子から「蛇堀川」と呼
ばれ、後に「残堀川」となりました。
このおはなしは、狭山池(筥ノ池)から残堀川へ堀をつなぎ、池の水を玉川
上水の助水としたことを反映して生まれました。こちらが池畔にある蛇喰治い次右衛門の像である。

現在の
狭山池は「筥ノ池」、「丸池」「あめんぼうの池」(写真)、「ふなっこの池」
に分けられ、狭山池公園として整備されている。
元々は、古多摩川が流れていた頃、深くえぐられて窪地となった場所であり、
粘土質のために水はけが悪い地であったという。

筥ノ池には
厳島神社がある。

池の南西から残堀川が流れ出ている。
その場所では、親水エリアが設けられ、子供たちのよき遊び場となっている。
後述するが、中流域では残堀川には水は流れておらず、その付近を知る人
からすれば、新鮮に感じることであろう。

その北側に小高い丘があり、その丘の上には
狭山神社が鎮座する。
創建年代は不詳、永承年間(1046~53)、源義家が奥州征伐の際、狭山池
付近に陣営、箱根権現の霊夢を感じ、当地に勧請したとされる。

都道166号線を潜った後、右岸には広大な敷地を持つ臨済宗建長寺派の
北
小山円福寺の北方を通る。
天正元年(1573)、村山土佐守義光を開基とし、梅室慶香和尚が開山した。
残堀川下流の川沿いにある普済寺(次項参照)の末寺である。

毎年1月にはだるま市が開かれる。
コンクリート護岸の川が続き、両岸には道路が沿う。
上流端から数百メートルしか経ていないが、川幅は広い。

川の北側の
石畑御嶽神社に立ち寄ってみる。
創建年代は不詳、現在の本殿は弘化2年(1845)に、旧石畑村の棟梁、鈴木
広宝によって建てられたもの。

川沿いを更に歩いていくと、青梅街道が架かる地蔵橋手前に
吉野岳地蔵堂がある。
文久3年(1863)、石畑村の名主であった吉岡助右衛門が子女の病気平癒
を祈願して再建されたもの。
小堂ながら本格的な唐様建築で、地蔵堂としては他には見られないものだという。

地蔵橋から数分ほど北へ歩くと、
石畑神明神社がある。
創建年代等の由緒は不明、本堂右手には町指定の天然記念物、欅の古木
がある、

地蔵橋を過ぎ、残堀川は南東方向へ流れていく。

残堀川を歩いていると、所々で右岸に支流が合流する吐口を目にする。
北の狭山丘陵を水源とする
狭山谷川、
夕日台川、
峰田川、
滝田川という短
い支流河川である。(写真は峰田川の合流)
冒頭に述べたように、残堀川は元々は狭山丘陵の湧水を水源とする河川だ
ったので、これらの河川が本来の姿なのかもしれない。

更に歩いていくと、新青梅街道が架かる青岸橋に達する。
青岸橋の2つ上流側の橋、下砂橋から武蔵村山市へと入る。

富士塚橋の橋詰で、左岸から
横丁川が合流する。
横丁川も先に記した4つの支流同様、狭山丘陵から流れてくる川だ。

残堀川には何箇所か、親水エリアが設置されている。
大雨時以外はあまり水量が多い川ではないので、水と親しむにはいい条件
なのであろう。

そんなことを考えながら歩いていると、新残堀橋(同名の橋梁は下流にもあ
る)の手前で、突如として水流が姿を消す。
地中に水が吸い込まれてしまったのである。
原因としては諸説あるが、表層(ローム層)を流下していた河道を河川改修
工事により掘り下げた結果、礫層に達して伏流となったことが有力である。

水がない状態は、ずっと下流の立川段丘の大滝まで続く。
(所々に水を確認できるが、雨水が滞留しているものである)
すっかり水流がなくなった残堀川、やがて行く手の左側にイオンショッピング
センターが見えてくる。

《参考文献》
『多摩川水系 残堀川河川整備計画』 東京都(平成19年6月)
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