池尻川

JR京浜東北線の大森駅西口を降りると、アップダウンが続く地形が広がる。
そのような地形の中、山王の窪地を形成していた内川の支流、池尻川を辿って
みることにする。

現地(写真は池尻川中流付近のもの)にある「昔の内川と六郷用水の流れ」と
称する案内碑を見ると、環七の馬込銀座交差点の南東付近を水源にしている
ように見える。
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しかしながら、現地に行くと、更に上流方向に暗渠を確認することができる。
とにかく谷形状が広がるため、水源がどこにどの程度あったのかは伺いしれな
いが、そんな中、山王2-20から始まる暗渠道を確認することができる。
今回はここをスタート地点としよう。
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その暗渠道は一般道から降りる階段から始まり、北へと向かう。

大森駅の北から環七を結ぶジャーマン通りと称する道路の手前で、流路は西へ
と転じ、ジャーマン通りに並行して進む。
そこには、僅かながらの区間であるが、緑道化された歩行者道もある。
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この山王の住宅街から馬込にかけては、多くの文豪が住み、「馬込文士村」と
称されている。
九十九谷と呼ばれる丘と谷が入り組む地に、大正12年(1923)、尾崎士郎・
宇野千代夫妻が移り済み、その後、士郎の誘いに多くの画家や作家が居を
構えたとされる。
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その文士村の中から、ジャーマン通りの北側にある山王草堂記念館と尾崎士郎
記念館を取り上げてみよう。

山王草堂記念館は『國民新聞』を主宰したことで知られるジャーナリスト、徳富
蘇峰(1863~1957)の旧居跡である。
徳富蘆花(『烏山川2』参照)の実兄としても知られる。
また同志社英学校に学び、大河ドラマ『八重の桜 』でも登場していたので、ご記
憶の方も多いだろう。
蘇峰は、大正13年(1923)、この地に居宅を建て、山王草堂と称して昭和18
年(1943)まで起居した。
現在は建物の一部が保存され、記念館および蘇峰公園として一般開放されて
おり、記念館内では彼の原稿や書簡が展示されている。
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山王草堂記念館から程近い場所に尾崎士郎記念館がある。
代表作『人生劇場』で知られる尾崎士郎(1898~1964)は、前述の通り、大正
12年に馬込の地に移り住み、昭和29年(1954)にこの地に家を持ち、晩年を
過ごしたという。
公開は外側からの見学、および玄関の土間部分のみである。
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池尻川に戻り、下流に向かって進もう。
川筋は、環七に沿って南下する。
環七に沿うというよりも、環七が池尻川の谷筋を利用して造られたと言ったほう
がいいかもしれない。
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池尻川筋の道路は、その先細くなり、山王の住宅街を通り抜けていく。
その通り沿いにも、文士村の旧宅を紹介する掲示がある。
写真左にある掲示は、詩人の藤浦洸と小説家の榊山潤の旧宅跡を示すもの。
この他にも川跡沿いには、室生犀星や山本有三などの掲示も見られる。
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蛇行する道路は、かつての池尻川の流れを彷彿とさせる。
左の植え込み部分が川跡なのであろうか。
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途中の川の東側には山王厳島神社があり、神社の周囲には弁天池がある。
創建年代や由緒は不明、かつては小町弁天と呼ばれていたという。
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神社に隣接する花清水公園内には湧水があり、脇には「御神水 弁天池源泉」
と書かれた立札が立てられている。
ここから弁天池に水が流れ込み、また、かつては弁天池から池尻川へと流れ
出ていたと想像できる。
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池尻川を更に下る。
川の左岸は急峻な崖となっており、住宅などがその崖にへばりつくように建てら
れている。
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道沿いの高台にある高稲荷神社(由緒等不明)から上流方向の眺め。
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その先で環七と交差する。
環七と交差した後も歩道を併設した一方通行の道路に川跡を見出すことができる。
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新井宿春日神社の脇に『いにしえの東海道』と書かれた碑が建てられており、
そこで交差する一般道が古道であることを教えてくれる。
その碑には、次の説明文が彫られている。
此の道は時代により奥州街道、相州鎌倉街道、平間街道、池上往還などと呼
ばれていた古道です。

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その新井宿春日神社の創建・由緒は明らかではないが、鎌倉時代の創建とも
伝えられている。
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春日神社から数十メートル行くと、池上通りにぶつかって道路は終わる。
その手前、右から六郷用水北堀跡の道路が右から交差する。(下の写真の右
側。クーラーの室外機がある辺り)
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冒頭に挙げた案内碑によると、東海道線を越えて内川に向かうように描かれて
いる。
ただ、この先には池尻川の跡らしき水路はない。
また、明治や大正期の地形図を見ても、池尻川は六郷用水にぶち当たって終
了している。
おそらく、池尻川を流れてきた水は六郷用水に取り込まれて終わっていたので
あろう。
そうすると、この先の水路は六郷用水開削より前、つまり江戸初期以前に消滅
したと考えるのが妥当であり、近年の宅地開発も手伝って水路跡を辿ることは
断念せざるを得ない。

案内碑に描かれた水路図が正しいとするならば、池尻川は内川の富士見橋
手前に達し、更に南の大森西四丁目交差点付近で旧内川に合流したことに
なる。(現在の内川は大正6年(1931)に開削されたものである)
下の写真は、内川の境橋から富士見橋を眺めた光景であるが、数百年前の
池尻川は富士見橋手前辺りを北から南へと横切っていたのであろうか。
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貫井川 2

西武池袋線の高架を越えて、貫井川の暗渠道ははさらに北東へと進む。
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100メートルほどの区間だが、貫井川は環八の西側に出て、また東側へと戻る。
貫井川の暗渠を環八が分断してしまった結果である。
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さらに辿っていくと、ゆっくりカーブしながら南東へと向きを変えていく。
道沿いの家々の敷地は道路より数十センチ高い場所にあり、川底を歩いている
ような感覚を味わうことができる。
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またこの道路は貫井3丁目と4丁目の境界ともなっている。

やがて道の真ん中に排水溝が現れる。
周囲は谷となっており、降雨時には貫井川の暗渠に水が集まってしまうのだろう。
また、この付近の道路の地下には冠水対策のために雨水貯水槽が埋設されている。
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その先、富士見台駅の西側、貫井3-26付近からの支流(富士見台支流(仮))
と合流する。
この支流の暗渠は西武線の北側から始まる。
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支流の下流付近では、本流と同じく排水溝が続いている。
写真左の説明標識は、この下に雨水貯水槽が埋設されているので、道路掘削
時に注意喚起しているものだ。
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富士見台支流と合流した貫井川は、貫井中学校の南に沿って進む。
この辺りは、かつては「貫井の沼」と言われた場所で、沼の広さは七町歩(約
69,000㎡)あったという。
弘法大師が日照りに苦しむ農民のために杖でついて湧き水を出したという伝
説があるらしい。
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貫井川は北へと転じ、目白通りまでの区間は緑道となる。
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目白通りを越えて数十メートルほど行くと、右側の空き地に2つの鳥居が見える。
囲いがあるために中には入れないが、右側が貫井弁財天、左の赤い鳥居が
御嶽神社である。
弁財天は貫井の沼にあった弁天で文政9年(1826)の碑があるという。
また、隣接する御嶽神社も移転してきたものだという。
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この西側にあるのが南池山円光院貫井寺、真言宗豊山派の寺院で豊島八十
八ヶ所霊場第11番札所にもなっている。
寺の南に大きな池があったので「南池山」と号し、土地の名が貫井であるので
「貫井寺」と称したという。
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創建年はわからないが、円長法師(天正13年(1585)寂)が腰脚痛を患い、
七日間の断食をして平癒を祈願したところ、満願日の暁、霊夢により宝石を得
て患部を撫でさすると、たちまち快癒したので、感きわまってここに堂合を建て
貫井寺と称し、その近くに子聖大権現を勧請して霊石と共に奉安したと伝わる。

その先、貫井川は真っ直ぐ北へと、石神井川を目指して流れる。
神路橋と西田中橋の間で貫井川は石神井川に合流する。
石神井川の右岸には、大きな合流口が開いている。
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ここで少し戻って、先ほどの貫井弁財天の地から右へと分かれる分流(向山
分流
(仮))を追ってみよう。
分流はしばらく一般道となって向山の住宅街を進むが、向山4-20からは暗
渠道がみられるようになる。
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その先の遊歩道には、児童遊具も置かれている。
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さらにこの向山分流には、南の目白通りからの支流(向山ヶ谷戸支流(仮))
も流れこんでいたようで、600mほどの暗渠道が続いている。
目白通りの向山小前交差点近くには暗渠へと降りる階段がある。
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暗渠道は蛇行しながら北へと進む。
この東側の小高い丘は、かつて「田中の森」と呼ばれており、豊島城(現:としま
えん内)の出城で、家老がいた所という言い伝えがあるらしい。
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向山ヶ谷戸支流を合流した向山分流は、石川橋付近で石神井川に流れ込んで
いたようだ。
下水道台帳をみると、雨水管が橋の下流側にまで伸びており、そこには小さな
排水口が開いている。
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《参考文献》
『ふるさと練馬探訪』 練馬区立石神井公園ふるさと文化館編


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貫井川 1

貫井川は、下石神井5丁目付近を水源として、南田中・富士見台・貫井を経由して、
石川橋で石神井川に合流する5kmほどの暗渠である。

スタート地点は、石神井消防署の北方100mほどの地点、井草通りに僅かな窪
みがある。
現在は住宅街となっており川筋は見る影もないが、この窪みが貫井川の源流で
はなかろうか。
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その南側、新青梅街道を渡った先に下石神井御嶽神社がある。
天保年間に(1830~44)当地の石塚平左衛門によって創建されたと伝えられる。
その頃、江戸を中心に行者一山の布教で木曽御嶽山への信仰が広まっており、
の御嶽山の分霊を祀ったのが始まりといわれる。
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本殿と境内末社の一山神社の間には、岩を積んだ小丘があり、三体の石の祭
神像が祀られている。
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貫井川の痕跡がはっきりと確認できるのは、石神井消防署から西へ400mほど
の地点、北東へと分かれる道路があり、その歩道が貫井川跡である。
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その道路の西に並行する道の脇に上久保不動尊がポツンと建っている。
由緒等はわからないが、小さな不動堂は趣きがある。
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不動尊の道を北東へ行くと、左側にあるのが下石神井天祖神社
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創建は明らかでは無いが、境内にある庚申塔(下写真中央)には「石神井郷神
明村」と刻まれ、江戸時代に編纂された「新編武蔵風土記稿」にも同村の鎮守
である旨が記載されているという。
天祖神社と称されたのは明治期になってからで、それ以前は天明社と称していた。

また下の写真の左端にある石塔は「二十三夜待供養塔」といい、文化13年(18
16)の銘がある。
二十三夜待とは、特定の月の23日の夜に講員が集まり、月を拝み飲食を共に
する月待ちの行事だといい、全国各地で盛んに行われていたようである。
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話を貫井川に戻そう。
天祖神社の南にある下石神井小学校脇から、暗渠道が始まる。
練馬区の暗渠の特徴である「水路敷」の青いペイントが描かれている。
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少し行くと、左手に栄湯という銭湯の煙突が見えてくる。
銭湯は暗渠沿いによく見かけるが、下水道が完備されていない時代に、排水を
川に流していたことによるものだ。
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暗渠の遊歩道はその先、一旦、一般道路へと変わるが、旧早稲田通りの先から
再び遊歩道が始まる。
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その暗渠道は、南が丘中学校の西脇に沿って南下する。
このあたりには、かつて喜楽沼と称する釣堀があったというが、その辺りの事情
はtokyoriverさんの東京の水 2009 fragmentsに詳しく記載されている。
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現在は住宅が建ち並びその痕跡はないが、近くのバス停にその喜楽沼という名
前が残る。

その北には、慈雲山曼荼羅寺観蔵院という寺院がある。
創建の年月は明確ではないが、文明9年(1477)、豊島氏を滅ぼした太田道潅
が、三宝寺(『石神井川2』参照)を移転した際、塔頭であった観蔵院を、この南
田中へ移築し末寺としたといわれる。
また、境内にある薬師堂は日出薬師と呼ばれ、昔は現在地より東北方にあり、
石神井川の薬師堂橋(練馬高野台付近)の橋名がその名残と言われる。
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観蔵院の近くには江戸時代末期の建築と推定される榎本家長屋門があり、練
馬区の有形文化財となっている。
(個人宅のため、外観を見学するのみとなる。)
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貫井川は環八と笹目通りの環八南田中交差点を越え、環八に沿う形で北東方向
へと北上する。
交差点脇には、本年(2014)スーパーが開店し、その脇を通る貫井川の遊歩道
の一部も綺麗に整備された。
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さらに続く北東へ続く暗渠道。
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一般道との交差部には橋跡と思しきコンクリート舗装が見られる。
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西武池袋線の高架の手前、酒店の脇にはコンクリート暗渠もある。
ビールケースが積み上げられ酒屋の物置と化している。
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《参考文献》
『ふるさと練馬探訪』 練馬区立石神井公園ふるさと文化館編


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西妻川

黒目川の支流の西妻川は、東久留米市の白山公園から流れる1kmほどの短い
河川である。

その水源の白山公園は窪地となっており、なお且つ遊水池となっている。
白山公園には野球場やサッカーグラウンドがあり、また公園の周囲には桜が植え
られ、シーズンには多くの花見客で賑わうという。

現在は白山公園の一画だけが窪地となっているが、公園の南には滝山団地があ
り、そこは窪地を埋め立てて造ったという。
かつては、もっと南まで川が上流方向に延びていたらしい。

その白山公園を訪れてみる。
ちょうど梅雨の時期であったが、グラウンドのあちこちから水が湧き出している。
(写真では水溜まりのように見えるが、水は写真手前方向に流れ出している。)
周囲はぬかるんで、当然のことながらグラウンドは使用できない。
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水は野球場の北側へと集まり、川となって流れる。
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公園に来ていたご老人にお話を伺うと、多量の雨が降った後はこの様な状態と
なり、1週間ほどグラウンドは使えなくなるという。

水は公園の西隅を通って、北へと向かう。
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前年の2月頃、この西妻川を訪れたことがあったが、その時は公園には一切、
水は流れていなかった。
下の写真は、上の写真と同じ場所であり、川筋まで入りこむことができた。
この時の西妻川の下流部も僅かに雨水が滞留する程度であり、全く別の様相
を見せていた。
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公園の北を通る都道4号線を越えると、西妻川の水は谷の中を落ちていくように
流れていく。
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その先の小さな橋から上流側を見た様子。
川沿いの住宅からは数メートルの崖地となっている。
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所沢街道と交差し、その先は畑の中へと入っていく。
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畑の中から抜け出てきた西妻川、水の流れは清らかだ。
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その先、数十メートルの区間の暗渠を経て、都大橋の下流で黒目川と合流する。
ただし、その合流口からは水は流れ出ていない。
どうやら、合流手前で水は下水管へと流れこんでいるようだ。
治水のためとはいえ、清らかな水が黒目川へ達することなく消えてしまうのは、
残念なことだと思う。
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出水川

出水川(でみずがわ)西武拝島線の萩山駅付近を谷頭とする黒目川の支流で、
黒目川とは平成橋付近で合流する。
出水川の由来は「雨が降ると溢れるほどの水量となる」とされるが、「川水が翌
年まで持ち越さないでその年中に渇水となる」ことから不老川(としとらずがわ)
という別名もあるという。

萩山駅の北側には窪地があるが、それを上流方向へ辿っていくと、萩山公園
辿りつく。
公園内は木々が生い茂り、武蔵野の自然を残しているといった感じの公園である
が、その中に小さな凹んだ場所がある。
確かではないが、ここが谷頭である可能性は大きい。
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萩山駅北側の住宅地の中を進んでいく。
下の写真は、その住宅地の低地から、駅方向に向かって撮影したもの、明らかに
窪地となっている。
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参考文献とした『東村山の地名とそのいわれ』によると、かつてこの辺りはオオ
カミ窪と称したという。
「出水川の上手にある大きな窪」というのが、そのオオカミ窪の言われという。

谷筋は住宅街を北東方向へと進み、西武新宿線と交差する。
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西武新宿線を越えると、右手に小平霊園を見ながら道路を進む。
小平霊園は65万平方米という広大な敷地を持つ霊園であり、昭和23年に開設
された。
園内には野口雨情、壺井栄、宮本百合子、伊藤整らも眠る。
また、黒目川の水源であるさいかち窪は、霊園内の北側に位置する。
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新青梅街道を越えると、出水川は開渠となる。
水は流れているが、水量は少ない。
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川辺にある突出したマンホール。
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出水川は恩多町の住宅地の間を縫うように流れていく。
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下の写真は冬期に訪れた時の出水川、水は全く流れておらず涸れ川である。
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恩田町1-25付近の数十メートルほどの区間では川沿いに道路が並行するが、
出水川では川沿いの道はほとんどなく、近くの道路を迂回する形となる。
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川の右手に煙突が見えてくる。
清瀬市、東久留米市及び西東京市のごみの中間処理施設として設置された柳泉
園組合
で、その余熱を利用した室内プールや入浴施設があり、また周囲には野球
場やテニスコートなどの厚生施設もある。
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迂回しながら更に出水川を辿る。
新宮橋という横には小さな祠がある。
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その新宮橋で開渠は終わり、その先はコンクリート蓋暗渠が続く。
暗渠の上には花壇が設けられている。
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暗渠沿いにはこんな竹林もあり、ちょっとした清涼感も味わえる。
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本村小学校の西側を通り、平成橋の上流数十メートルの地点で黒目川と合流する。
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Author:リバーサイド
善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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