烏山川 2

烏山川は環八に突き当たると、環八に沿って南下する。
環八沿いは緑道になっており、ベンチも設けられている。
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数年前まで、ここには烏山川の開渠があった。(現在も一部は残存)
この区間には水の流れはなく、雑草が生い茂る中にゴミなどが投棄されていた。
また、環八の歩道は狭く、歩いていても自転車が来ると避けなければならいほど
であった。
開渠が無くなったのは残念であるが、このようなことを考えると、遊歩道化した
ことは正解だったと思う。
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環八の西側に広がるのは、蘆花恒春園、園内の一画には「不如帰」「みみずの
たはこと」などで知られる明治・大正期の文豪、徳冨蘆花(1868~1927)の旧
宅が保存・公開されている。
蘆花は、明治40年(1907)、青山高樹町からこの地に移り住み、58歳で死去
するまでの間、雑木林に囲まれた自然の中で、数々の名著を残した。
昭和12年(1937)、愛子夫人により東京市に寄贈、昭和61年には東京都の史
跡に指定されている。
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また、園内は武蔵野の自然を残し、四季折々の花が咲き、ドッグラン施設なども
あるため、訪れる人も多い。

蘆花恒春園の北側に接して、粕谷八幡神社がある。
誉田別命(應神天皇)を祭神とした古社、創建並びに由緒沿革は不詳だが、粕谷
村の鎮守として崇められてきたようだ。
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環八沿いに並行した後、水際の散歩道と称する緑道が南東方向へと続く。
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緑道沿いには、八幡山遺跡の掲示がある。
八幡山遺跡は烏山川の左岸に位置する遺跡で、縄文時代中期の集落から江戸
時代の炭焼窯などが調査され、住居跡などの遺構や土器・石器などの遺物が発
掘されたという。
小河川といえども、烏山川が古代人にとって貴重な生活基盤であったことが伺える。
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遊歩道沿いには人工の水路も設けられ、子供たちの水遊び場として利用されている。
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緑道はその先、一般道をアンダーパスで潜り、希望丘公園の北側に達する。
この辺りで、支流の水無川(三鷹市内では中川と称する)が西から合流していた。

希望丘公園の北東から、再び緑道が始まる。
ここからは烏山川緑道と命名された緑道であり、三宿の北沢川との合流地点まで、
延々7kmの歩行者道が続く。
世田谷区内の殆どの緑道に共通することだが、緑道脇には草木が植えられ、気持
ちよく歩くことができる。
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緑道沿いの木々も、程よく木陰を作ってくれて歩きやすい。
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緑道と小田急線の間、経堂4丁目にある経堂天祖神社、創建年代は不詳(永正
4年(1507)という言い伝えがあるらしい)、江戸期には伊勢の宮と呼ばれていた
が、明治中期に天祖神社と改称したらしい。
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烏山川が小田急線と交差する手前にあるのが、石仏公園
緑道沿いに立つ石仏が公園名の由来になったのであろう。
やや広い児童公園といった感じだが、遊具が充実しているので、子供や親子連
れで賑わう。
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烏山川は更に南東へと進み、その暗渠上には緑道が続く。
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経堂の南では、城山通りに沿って進む。
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その城山通りを渡り、鴎友学園の東側には万葉の小径と称する区間になる。
わずか150mほどの区間であるが、万葉集に出てくる植物が植えられ、それ
ぞれの草木には、それに因んだ歌が紹介されている。
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万葉の小径を抜けると宮の坂に近づくが、その手前の南には竹林に囲まれた
曹洞宗の寺院、勝光院がある。
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当初は臨済宗の竜凰寺と称し、建武2年(1335)世田谷城主の吉良氏の創建と
伝えられ、天正元年(1573)吉良氏朝が天永琳達を招き、曹洞宗に改宗、同時に
勝光院と改称した。
「宮ノ坂勝光院と竹林」として、昭和59年に世田谷区が選定した世田谷百景の1
つに数えられている。

墓地の中には、吉良氏の墓所があり、氏朝の孫、義祗以降の一族の墓がある。
(吉良氏については、次項、世田谷城跡の紹介の時に触れることとする。)
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勝光院とは烏山川を挟んで北側の林の中には世田谷八幡宮がある。
寛治5年(1091)後三年の役の帰途、源義家がこの地に立ち寄り、勧請したと伝
えられ、天文15年(1546)に吉良頼康が社殿を再興した。
境内には土俵があり、江戸時代には「江戸三大相撲」の一つとして有名となった。
現在でも秋季大祭には奉納相撲が行われている。
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烏山川は宮の坂駅の南側で東急世田谷線と交差する。
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烏山川 1

目黒川の支流の烏山川、その源流は世田谷区北烏山の高源院にある弁天池とさ
れ、また玉川上水からも烏山用水として導水されていた。
南烏山、船橋、宮坂、太子堂など世田谷区北部を横断し、目黒区池尻で北沢川と
合流、目黒川に注いでいた。
現在は殆どの区間が暗渠となっている。

その烏山の水源、弁天池は浅い地下水の宙水を水源とする池で 東京の名湧水5
7選
にも選定されているほか、世田谷区の特別保護区にも指定されている。
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池にはスイレンやコウホネなどが密生し、また冬にはマガモ、カルガモなどが訪れる。
(このことから、鴨池という別称がある)

この高源院は臨済宗大徳寺派の寺院であり、元禄15年(1702)、久留米藩主
有馬頼元が仏道に帰依し北品川に創建、怡渓宗悦和尚が開山した。
昭和14年(1939)に烏山の地に移転している。
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この付近には寺院が多い。
烏山寺町と呼ばれ、関東大震災後の都心復興のため、焼け出された22の寺院
が当地に移ったのが始まりとされ、現在は26の寺院を数える。
その全てをここで紹介することは出来ないが、高源院の南、2軒隣の専光寺には、
浮世絵で有名な喜多川歌麿(1753~1806)の墓があり、都の旧跡として指定さ
れている。
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烏山川は池の東側から流れ出ているが、その上流、三鷹市牟礼方面にも水路を
見ることができる。
途中、放射5号道路(東八道路)の道路建設地や住宅地などに阻まれて、上流側
に辿ることはできないが、おそらく玉川上水から牟礼分水によって取水された牟礼
田んぼからの流れではないだろうか。
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弁天池から出た流れを追ってみよう。
高源院の西側の住宅地を通り、その先、僅かな区間ではあるが遊歩道となる。
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遊歩道を通り抜けると烏山北住宅という団地内を流れていく。
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最初に書いたように烏山川にはもう1つ、玉川上水から取水した烏山用水の流れ
がある。
万治2年(1659)の開削とされ、烏山村など流域10村に補給されていたという。
弁天池からの水流だけでは、水田の維持が難しかったのかもしれない。
玉川上水の岩崎橋から下流を眺めると、茂みの奥に分水口を確認することができる。
ちなみに、烏山分水口の数十メートル先には、北沢分水口がある。
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玉川上水からの流れは、弁天池からの流れと同様、烏山北住宅の中を南下する。
2つの流れは所々、途中の支流によって結ばれていたようだが、基本的には2本
の流れとなって下っていく。
便宜的に弁天池からの流れを西側支流、玉川上水からの流れを東側支流と称
することとしよう。

西側支流を追っていくと、中央高速との交差部に古い橋の欄干を見ることができる。
更には、この橋の下から10メートルほどは開渠となっている。(但し、水は流れて
いない)
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その先、団地内の所々に橋を見つけることができる。
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こちらは東側支流、団地の東側に沿って流れているが、草地となった水路敷が続
き、写真のような橋跡もある。
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東側支流と西側支流の間隔は数十メートルであるので、交互に見ながら歩いて
いくこともできる。

国道20号線(甲州街道)烏山バイパス脇にも、このような欄干を確認できる。
(西側支流)
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こちらは烏山バイパスを渡った先の東側支流、マンションの間に入ってしまうため、
残念ながら支流に沿って歩く入っていけず、迂回する必要がある。
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西側支流が甲州街道旧道を渡った場所に武州千歳村大橋場の跡と書かれた
碑があり、地蔵や庚申塔が建てられている。
特に説明板もなかったが、Webで調べてみると、地蔵は江戸時代にこの付近の
繁栄に寄与した下山一族が建てたもので下山地蔵尊と称されるという。
また碑の名称からすると、旧甲州街道には大橋という名の橋が架かっていたの
だろう。
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更に南側へと歩いていくと、芦花公園駅の西側で京王線と交差する。(写真は西
側支流)
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京王線の先は、新しく立て替えられた芦花公園団地。
団地内には綺麗に整備された遊歩道が通る。
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その西側には烏山念仏堂と烏山神社がある。

烏山念仏堂は念仏堂は,室町期に 世田谷領主の吉良頼高が菩提寺として創建
した泉澤寺(その後、川崎に移転)の境内に念仏道場として建てられたと言われる。
明治6年(1873)、本堂を烏山小学校の前身となる温知学舎として使用された。
境内には江戸時代中期作と伝えられる釈迦涅槃石像をはじめとする石像がある。
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念仏堂薬師堂の南にあるのが烏山神社、創建年代は不詳だが、境内の手水鉢
には元文元年(1736)の紀年があるという。
白山御嶽神社と称していたが、昭和37年に天神社、神明社、稲荷社を合祀し、
烏山神社と改称した。
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烏山川はゆっくりと東へカーブする。
粕谷2丁目にあるゴルフ練習場の東側で、東側支流と西側支流の緑道は合流する。
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但し、昭和中期以前の地形図を見てみると、2つの支流はここでは合流せず、西
側支流は更に現在の蘆花恒春園の園内を流れ、その先の千歳清掃工場付近で
合流していたようだ。
恐らく、合流地点の東にある芦花中学校や蘆花恒春園の建設に伴い、当地で合
流させたのであろう。


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白子川 3

白子川は、新東埼橋および東埼橋で、川越街道・旧川越街道に達する。
橋名の由来は、東京と埼玉の境にあるからであろう。
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この辺りは古代、朝鮮からの渡来人が入植した土地で新羅郡と呼ばれ、その新羅
が白子へと変化したものと言われる。
(大化の改新以後、大和政権は律令制度の整備の過程で、東国経営の一環として
 新羅・百済・高麗からの渡来人を武蔵国へ配置する政策をとった)
川越街道の白子宿として栄え、そのためか寺社もいくつか見られる。
また、家康が本能寺の変に遭遇して三河の帰る際、伊賀忍者が道案内をしたこと
をきっかけに、伊勢の白子に因んでこの白子一帯に領地として与えられた。

この白子の地では左岸の和光市側には段丘が迫り、湧水も多く見られる。
主な寺社、湧水を紹介しながら、この先を進むことにしよう。

旧川越街道を数百メートルほど行くと、白子熊野神社と清龍寺不動院がある。

白子熊野神社の創建年代は不明であるが、社伝によるとおよそ一千年前の発祥
と言われ、白子村の鎮守として栄えていた。
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隣接する清龍寺不動院は、天長7年(830)慈覚大師円仁の開創とされる。
滝行や護摩修行、坐禅などが行われる修行寺としても知られる。
境内には洞窟もあり、短いながらも洞窟巡りをすることもできる。
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白子熊野神社の社殿の裏手には、龍神池という湧水池を見ることができる。
崖下に広がる林の中に静寂した雰囲気が漂う。
明治9年(1876)には、境内に湧水を利用した日本初の養魚場ができたという。
(明治23年に閉鎖)
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清龍寺では湧水を利用して滝行が行われている。
滝行が行われる滝は「不動の滝」と称するが、乃木将軍が日露戦争への出陣に
先立ち修行したとのことから、「乃木大将修行の滝」とも言われているようだ。
残念ながら修行のために立入禁止となっていたので目にすることは出来なかっ
たが、同寺のサイトでその様子をうかがい知ることができる。

白子熊野神社の北東には滝坂という坂があり、坂の中途にある小島家湧水
から水が流れ出ている。
滝坂の由来は、湧水が滝のように流れ落ちていたことから呼ばれたものだが、
現在も滝坂脇の側溝を音を立てて水が流れ落ちている。
側溝を流れる水はドボドボというぐらい水量は多い。
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東武東上線の線路の南側にあるのが、天台宗の瑞應山地蔵院地福寺
永延年間(987~988)、尊恵上人による開基と言われる。
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この地福寺にも地蔵池という湧水池があり、池には多くの鯉が泳いでいる。
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これらの湧水は、白子川に水を落とす。
写真は東上線の高架橋脇で白子川に流れ出る地蔵池などからの湧水。
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東上線の下の寺子橋の先、右手に旧白子川児童遊園地という小さな児童遊園
がある。
その児童遊園の名が示す通り、そこは旧白子川の川跡である。
旧白子川は、現在の河川の東側を流れ、笹目橋脇で新河岸川へと合流していた
ようだ。
またこの川には、成増方面から百々向川小井戸川といった支流も流れ込んで
いた。
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現在、旧白子川緑道として整備され、一部区間には人工水路も設けられている。
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先ほどの地福寺から、線路を挟んで北側に成田山神護寺
説明板が無かったので由緒は不明であるが、成田山新勝寺の末寺の1つである。
不動明王を本尊とし、「田んぼの不動様」ともいわれた。
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東上線を越えた先、白子川は直線的な流れとなる。
三面コンクリートの護岸が続き、川沿いには住宅やマンションが建ち並ぶ。
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成増橋を左に行くと吹上観音として知られる臨済宗の福田山東明寺
天平年間に行基菩薩が観音堂として開創されたのが始まりとされ、室町初期に
智覚普明国師により開山された。
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吹上観音は江戸名所図会にも描かれ、絵の下部には蛇行する白子川も見える。
吹上観音
江戸名所図会 吹上観音  (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

再び笹目通りと交差し、その先の右岸には三園浄水場がある。
水道水と工業用水併設した浄水場で、志木市の秋ヶ瀬取水堰で荒川より取水し、
練馬給水所及び板橋給水所に送水する。
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落合橋で白子川は終了し、新河岸川へと合流する。
対岸の土手の向こうは荒川の河川敷、土手の上は散歩する周辺住民が行き交う。
写真右に見える橋は新大宮バイパスの笹目橋である。
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《参考文献》
『白子川を知っていますか -水辺再生に向けて-』 白子川汚濁対策協議会編
『江戸の川 東京の川』 鈴木理生著


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白子川 2

白子川は関越道と外環道の大泉JCTのループの中を突き進む。(といっても、J
CTの方が後から出来たわけだが)
川の右側の工事現場は、白子川地下調節池の建設工事。
内径10m、長さ3.2kmに及ぶ調節池になる予定で、目白通りの下を東進し、石
神井川の高松橋付近(環八練馬中央陸橋付近)に達する。
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JCT内に架かる橋は比丘尼橋(びくにはし)。
比丘尼という美貌の尼僧が善兵衛という名主と恋仲になったが、恋は成就せず、
尼僧は白子川に身を投げたという伝説があるそうだ。

その東側、坂を上がったところにあるのが、精進場稲荷神社
創建年代は不詳であるが、豊島郡土支田村下屋敷精進場の鎮守社として祭祀
されていた。
昭和44年(1969)、関越道用地として境内地の一部が買収され、その後、残さ
れた土地に社殿等が新築された。
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新橋戸橋の先、左岸にある橋戸公園の下にあるのが、比丘尼橋下流調節池
こちらこちらは、平成14年の完成で212,000立方メートルの貯留量という大規
模なものだ。
かつて台風や集中豪雨で幾度となく水害に悩まされた白子川流域は、調節池
の建設や護岸工事により治水対策が進められている。
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この先、弥生橋から向下橋の間は川沿いの道は無くなるが、向下橋から遊歩道
が復活する。
右岸にはあかまつ緑地と称する公園が続く。
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なお、あかまつ緑地の先には薬品工場があるが、右岸沿いの道は全薬橋の先
で途切れるため、左岸沿いの遊歩道を歩くことをおすすめする。

別荘橋の橋詰には、天明8年(1788)建立の地蔵と、嘉永3年(1850)の庚申
塔が建ち並ぶ。
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その別荘橋から北へと行くと八坂神社がある。
旧橋戸村の鎮守で、京都八坂神社を勧請して創建された。
この辺りの字を「中里」といったので、「中里の天王様」として村人に親しまれた
という。
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八坂神社に隣接して、中里の富士塚がある。
高さが約12m。径が30mあり、練馬区内最大の富士塚である。
明治初期、講中によって造られたといわれているが、文政5年(1822)の石碑
があることから、江戸時代にはその原型があったとされる。
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別荘橋に戻り、更に下流に進んでいくと、清水山憩いの森という公園がある。
この公園内にも湧水があり、東京の名湧水57選に選定されている。
湧水から流れ出た水は公園内を流れ、不動橋の上流で白子川に落ちる。
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また、この清水山憩いの森は東京23区内における唯一のカタクリの自生地と
して知られ、春先には小さな紫色の花をつけるという。
(片栗粉はこのカタクリの根茎から抽出したものであったが、少量しか採取で
きないため、現在はジャガイモで代用されている)

不動橋の次、下中里橋の右岸からもまた大量の水が流れ出ている。
こちらは稲荷山憩いの森の湧水からの流れである。
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湧水から出た水は暗渠となって白子川に達する。
かつては土支田4丁目地域の水田灌漑の補助水としても利用されていたという。
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さらに歩いていくと、今度は左岸から湧水が白子川に落ちている。
中里幼稚園の敷地内からの湧水である。
敷地内には当然のことながら入れないが、外から覗くと湧水池があり、幼稚園
のプールに利用されている様子が伺える。
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右岸には八坂小学校、八坂中学校が続くが、その間の道を南へ行くと土支田
八幡宮
がある。
詳細な創建年代は不明であるが、鎌倉時代末の創建と伝えられる。
江戸時代の古文書には八幡社他三社の記載があり、明治時代に合祀、「北野
神社」と称した。
土地の人々からは字名に因んで「俵久保の天神様」と呼ばれ親しまれていた。
現在の土支田八幡宮と改称されたのは戦後のことである。
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八坂中学校の対岸は埼玉県和光市となる。
この先は、ほぼ都県境に沿って流れていく。
都県境は川の左右に振れるが、これはかつての白子川の蛇行の跡である。

越後山橋の先、川の周囲は緑が増す。
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この付近の右岸には山八水車と呼ばれる水車があった。
文化13年(1816)の開業で、製粉所で使用されたもの。
川の改修工事に伴い、水車はその機能を停止したが、現存するという。
但し残念ながら、企業の敷地内にあり一般には非公開となっている。
(左岸から対岸建物の写真を撮影したが、この建物内に水車があるのかは不明)
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芝屋橋からしばらくの間、川沿いの道はなくなる。
そのため、近くの道路へ迂回せざるを得ない。
笹目通りを越し、小源治橋の脇には、土蔵を持つ古民家を目にすることができる。
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その小源治橋から下流方向の光景。
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小源治橋の先、右岸側の道路を辿っていくと、長久山妙安寺がある。
開山は駿河蓮永寺の日雄上人、開基は板倉伊賀守勝重。、
勝重は、徳川家康江戸入府以前からの重臣で、家康入府後、勝重はこの辺り
を知行したので、早速上人を招いて当山を創建したものと思われる。
山号の長久山は、徳川家の武運長久を祈願して名付けたという。
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その先、光が丘公園北方にあった於玉ヶ池からの支流(暗渠)が東から合流する。
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子安橋手前には出世稲荷神社がある。
創建は不詳、川越街道を往来する川越城主出世の祈願をしたところから名づけ
られたという伝えがある。
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《参考文献》
『白子川を知っていますか -水辺再生に向けて-』 白子川汚濁対策協議会編
『ふるさと練馬探訪』 練馬区立石神井公園ふるさと文化館編


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テーマ:東京 - ジャンル:地域情報

白子川 1

白子川は練馬区東大泉の大泉井頭公園に端を発し、板橋区と埼玉県和光市の都県
境をながれて新河岸川へと流れ込む延長がちょうど10km、流域面積は25k㎡の河川
である。
かつては矢川、新倉川、境川といった名称もあったらしい。

川沿いの段丘から湧水が流れ込み、清らかな水が流れる白子川であるが、かつて
は工場排水・生活用水が流れ込み、昭和50年から58年までは、都内の河川の
汚染度がワースト1という不名誉な記録を持つ川であったらしい。
その後、周辺流域の下水道が普及し、また協議会などの住民活動により、清流が
復活し、現在に至っている。

白子川の特徴としてその周囲に湧水が多いことがあげられるが、周辺の神社仏閣
等の史跡とともに、そのような湧水を紹介しながら下っていくことにしよう。

白子川の起点は東大泉七丁目にある七頭橋、反対側からは支流の新川が流れこむ。
新川は西東京市北原や谷戸町付近を源とする河川で、一部を除いて殆どが暗渠の
河川である。
但し、通常時は水は流れていない。
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白子川の本来の水源は百メートルほど行った大泉井頭公園、護岸や川床から湧
水が湧き出ている。
かつては公園内に井頭池という湧水池があり、東西20m、南北200mの細長い池
であったそうだ。
頭に鳥居の形の印したウナギが住んでいて池の主とされ、池を埋めた際にそれに
携わった人に祟りがあったという話が伝えられている。
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また公園内には、かつて井頭池に水辺に生育していた2本の大きなマルバヤナギ
があり、練馬区の天然記念物に指定されている。
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白子川は公園から北へと流れる。
川岸にはキショウブをはじめとする水生植物が生い茂る。
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やがて川は西武池袋線と交差する。
川沿いに線路を越すことはできず、東西どちらかの踏切に大きく迂回せざるをえない。
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西武線を越えると、川の西側に日蓮宗の妙福寺がある。
もともとは慈覚大師を開基とする天台宗の寺で、嘉祥3年(850)の開創と伝えら
れ、慈東山大覚寺と称していた。
元亨2年(1322)日祐上人により、法種山妙福寺として日蓮宗に改宗される。
この地での日蓮宗の中心となり、東の中山法華経寺(市川市)に対して、「西の
中山」と称され、現在の山号も西中山と変えられた。
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西武線を越した先も、川沿いの遊歩道は続く。
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左岸から支流の大泉掘(だいせんぼり)が合流する。
大泉掘はひばりヶ丘駅の東、西東京市住吉町3丁目付近を源として此処に注ぐ
支流であり、コンクリート蓋の暗渠が延々と続く。
但し、白子川との合流部付近では緑道化されており、自転車などの往来も多い。
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その合流部の北にあるのが了光山本照寺、こちらも日蓮宗の寺院である。
天正10年(1582)の開基で、昔から中山の隠居寺と言われていたという。
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本照寺の前を通っているのが旧清戸道、江戸から清戸(清瀬市)へと続く古道で、
練馬区を東西に横断していた。
清戸道はこの先の中島橋で白子川を渡り、江戸方面へと向かっていた。

その中島橋の北東に旧大泉村役場があった。
明治22年(1889)町村制の施行で、埼玉県新座郡小榑村(現大泉学園町・西大
泉・南大泉)と橋戸村(現大泉町)が合併して榑橋村(くれはしむら)となった。
同24年(1891)榑橋村は、東京府北豊島郡に編入され、石神井村大字土支田と
新倉村長久保を合併して大泉村が誕生する。
当初、役場は前掲の本照寺に隣接した村長宅に設けられたが、大正11年(1922)
この地に新しく木造2階建ての村役場が建設された。
昭和7年(1932)の板橋区の成立後(昭和22年に練馬区が分離独立)は、信用
組合や福祉事務所などの公共施設として建物が利用されたが、老朽化により昭
和54年(1979)に取り壊された。
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大泉中島公園という小公園の一画に大泉村役場建築記念碑が建っている。

中島橋と東西橋の左岸に小泉牧場という牧場がある。
東京23区内で唯一残存する牧場である。
昭和10年(1935)の創業で、数十頭のホルスタインを飼育している。
道路を挟んだ事務所では、牧場製のアイスクリームを販売しているので、散策時
の休憩がてら、食するのもいいだろう。
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白子川は大泉学園駅北部の住宅街の中をゆっくりと流れていく。
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川沿いの道には「河川敷」と記された青いペイントが描かれている。
練馬区特有のペイントで、区内の暗渠には「水路敷」というペイントも所々にある。
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外山橋付近では、大きなマンション群をみることができる。
昭和10年(1935)、新興キネマ東京撮影所として発足した地で、戦後は東映
東京撮影所として数多くの映画が撮影・製作している。
撮影所自体は現存しているが、敷地は縮小している。
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外山橋の次に架かる橋が、その東映撮影所の名を冠した東映橋
付近の護岸整備工事に伴い、平成24年に架け替えられた。
その新しい橋の欄干には、映画のフィルム風に昔日の白子川周辺の風景のパネ
ルが掲げられている。
(裏面には仮面ライダーなどの東映作品の写真が掲示されている)
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その1つ、昭和30年頃の大泉第一小学校付近の写真、現在の住宅街からは考
えられないような風景が広がっていたようだ。
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三ツ橋の先、右岸には比丘尼橋上流調節池が広がる。
昭和60年に完成した調節池で34,400立方メートルの貯留量がある。
通常時はびくに公園のテニスコートや運動広場として利用されている。
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そのびくに公園の東に沿って八の釜憩いの森緑地があり、八の釜の湧水がある。
この付近はかつて「谷(や)」と呼ばれた所で、水を湧くところを「釜」といったところ
から、「谷の釜」転じて「八の釜」となったという。
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湧水から流れ出た水は公園の中を流れ、大泉氷川橋の下で白子川に流れ込む。
その水路沿いでは自然が保全され、またザリガニ採りなど子供たちの遊び場と
なっている。
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外環道の大泉以南への延伸工事に伴い、湧水の枯渇が懸念されているが、練馬区
が国交省に対して保全措置方針の要望書を提案するなど、湧水および周辺地域の
自然の保全の対策が策定されているようである。

《参考文献》
『白子川を知っていますか -水辺再生に向けて-』 白子川汚濁対策協議会編
『ふるさと練馬探訪』 練馬区立石神井公園ふるさと文化館編


より大きな地図で 【川のプロムナード】白子川周辺マップ を表示

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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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