落合川 2

落合川を更に下っていくと、右側より南沢湧水群からの流れ(沢頭流)が合流
する。
南沢湧水群は落合川の一大景勝地、ということで南沢湧水群を巡ることにしよう。
この湧水群は東京の名湧水57選に指定されているほか、環境省の平成の名水
百選
にも選定されている。
特に平成の名水百選に指定されているのは、都内では唯一、当地だけである。

南沢緑地へ向かう橋からは、奥から流れ出る大量の湧水を目にすることができる。
上流側は相当深い谷となっているが、水源地となっているため、残念ながら
立ち入ることはできない。
湧水群から湧き出る水は1日1万トンというから、相当な水量である。
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緑地内でも湧水地点を見ることはできる。
何箇所かの湧水が集まって、大きな流れを作っていくのであろう。
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南沢緑地に隣接して、東京都水道局の南沢浄水所がある。
井戸から汲み上げられた水と、東村山浄水場からの補給水をブレンドして、
東久留米市のほぼ東半分に給水しているそうだ。
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水源地からの流れと緑地内からの湧水が合流、水はとても清らかだ。
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落合川本流との合流地点には南沢氷川神社がある。
場所柄、古来より湧水の守護神として奉られている。
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創建は不詳であるが、在原業平東下りの折りに南沢に宿を求め、社前に立ち
寄る古文書がある。
また上棟札によれば、承応三年(1654)徳川家重臣の久世大和守や地頭 神谷
与七郎、蜂屋半之丞らの助力を得て再建されたと記されているという。

湧水群からの流れとの合流地点にある毘沙門橋の下流、左岸には多聞寺がある。
元仁元年(1224)の創建と伝えられる真言宗智山派の寺院で、毘沙門天を本尊と
して、東久留米七福神の1つである。
本堂は建て替えられてしまっているが、嘉永5年(1852)ごろの建立といわれる
山門は重厚な建築物である。
総欅造りの四脚門で、獅子の彫刻は材木を落合川に流して江戸へ運び、彫らせた
とも伝えられる。
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南沢湧水群からの水を加わり、落合川の水量は急に増える。
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老松橋を南へ数百メートルほど行くと、竹林公園がある。
約2000本の孟宗竹が生い茂り、心が洗われる気分になる。
かつて武蔵野の地に点在する農家の周囲にあった竹林の景観を後世に残そうと
昭和49年に開設された。
1982年、東京都により選定された「新東京百景」の一つともなっている。
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その竹林公園の北側にも湧水があり、ここも東京の名湧水57選に指定されている。
南沢湧水群のような迫力はないが、竹林公園の静寂な雰囲気が漂う。

湧水から出た流れは、竹林公園の脇を通った後、住宅街の中を通り抜ける。
この流れをこぶし沢という。
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こぶし沢は僅か400mほどの小河川で、西武池袋線鉄橋の手前で落合川に
合流する。
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西武線を過ぎると、右岸に不動橋広場という公園が広がる。
半月状の公園で、かつて落合川が蛇行していた箇所を公園とした。
公園脇には旧河川の水路跡を確認することができる。
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新落合橋の橋詰で右岸から立野川が合流する。
向山緑地公園付近の崖地を水源とする河川で、河川脇はかなりの崖となっている。
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その先のスポーツセンター手前で、今度は左岸から弁天川が合流する。
こちらは東久留米駅東口近くの厳島神社を水源とし、全区間暗渠の河川である。

スポーツセンターの先、左岸では黒目橋3号調節池が平成26年の完成
を目指して建設中である。
(1号池、2号池はスポーツセンター敷地の地下に完成済)

そして、落合川は黒目川に合流する。
落合川に湧き出た水は、黒目川、新河岸川、隅田川(荒川)を経て
やがて東京湾に注ぐのである。
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落合川 1

落合川は、東久留米市八幡町付近に端を発し、同市神宝町で黒目川に注ぐ、
延長約3.4kmの黒目川の支流である。
中流付近で南沢湧水群という景勝地(後述)を持ち、その南沢やこぶし沢、そして
立野川などの湧水を集め、支流とはいっても水量は本流の黒目川より多い。

八幡橋の脇に落合川上流端の看板がある。
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その橋から更に上流側にも水路を確認することができる。
水路脇の草地に立ち入って、数十メートルほど行くと、駐車場下の土管から水
が流れ込むようになっている。
但し、水の流れはなく、雨天時に雨水が流れ込むようになっているようだ。
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町名や橋名になっている八幡神社は、八幡橋の北方、数十メートルの場所にある。
創立年代は不詳であるが、新田義貞の子、義興の勧請と伝えられ、義興の木像
を安置するという。
火災焼失後、延命寺住職の源雄元により元禄12年(1699)再建された。
境内には、金刀比羅神社、八坂神社などの末社を持つ。
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八幡橋から下流方向に歩き始めると、いつしか川に水流が確認できるようになる。
川底から水が湧き出ているのを何箇所かで見かけることもできる。
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小金井街道が交差する弁天橋脇からは、落合雨水幹線から流れ出た水が合流、
水流はさらに増し、川幅も広がる。
落合雨水幹線は、2kmほど南の新青梅街道の下を通り、小金井街道を経て、
ここに流れ出ている。
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その弁天橋の南側に市の指定文化財にもなっている地蔵菩薩石像がある。
明和5年(1768)、円西という僧により造立され、「坂の地蔵さま」とも呼ばれていた。
大山道と江戸道の分岐点にあって道標の役割をも果たし、「ふちう(府中)まで
三り(里)」との文字も刻まれている。
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御成橋の南側には弁天フィッシングセンターという釣堀がある。
ここはかつて弁天池という池であり、係の方の話によれば、御成橋に架かる
道路(小金井街道と東久留米駅を結ぶ)ができる前は橋の西側まで広がる大き
な池であったそうだ。
以前は湧水があったが、現在は井戸水により釣堀を運営しているとのこと。
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地蔵橋手前の右岸には大きな親水エリアがある。
晩秋の朝のため、ひっそりとしていたが、夏には子供たちの歓声が聞こえるの
かもしれない。
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その先の右岸には旧河川跡が遊歩道となっている。
現在は河川改修工事により直線的な流れになっているが、以前は蛇行していた。
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神明橋の脇には、享保18年(1733)造立の庚申塔(写真右)と、宝暦10年(1760)
造立の石橋廻国供養塔(同左)が並べて保存している。
石橋廻国供養塔は石橋供養と廻国供養を兼ねたもので、特に落合川に架けた
石橋の安全を祈願して石橋供養が行われたようだ。
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右岸の南側にある神明山公園という小さな公園内にひょうたん池という池が
ある。
池の南端に湧水地点があり、澄んだ水が池に湧き出て、そして落合川へと続
いている。近隣住民の方々の手により、池とその周辺が清掃されているらしい。
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池からの水の合流地点の数十メートル先、こんどは左岸へと分水する水路の
流入口がある。
またも旧河川の水路である。
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こちらの旧河川の水路には水が流れ、河川沿いに自然環境が残されている。
旧河川の水路は数百メートルほど続き、再び本流に合流する。
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ここで、落合川の埋立改修工事における住民訴訟について述べてみよう。
落合川には絶滅危惧種のホトケドジョウが棲息する。
都が実施する改修工事(蛇行部の埋立)により、ホトケドジョウが絶滅するとし
て周辺住民が工事差し止めを求め、起訴した。
注目すべき点は、原告として落合川自身とホトケドジョウとしたことである。
しかしながら、判決は河川やドジョウの当事者能力を認めず、「良好な自然環
境を享受する住民の権利も侵害される」との主張も「法律上保護される利益に
該当しない」として退けた。

裁判沙汰になったとはいえ、都区内の中小河川からすれば、うらやましい限り
の自然環境である。(だからこそ、住民の方々は訴訟したのであろうが)
川周辺にはカワセミも生息し、そのカワセミを狙う撮影スポットにもなっている。
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黒目川 3

妙音沢の横には斜張橋の市場坂橋がある。
中小河川にしては立派な橋だ。
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下流側のは市場坂橋の旧橋もあり、現在は歩行者用の橋となっている。
旧橋の左岸には地蔵があり、心霊スポットとして有名なようだ。

市場坂橋を過ぎると、右岸には新座市営霊園が続く。
その崖下からも多量の水が黒目川に流れて出ている。
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更に歩いていくと、左岸に畑中ホタルの里という施設がある。
ビニールハウス内のビオトープでホタルを飼育している。
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その先、川越街道のバイパスそして旧道を越えて北上する。
その旧川越街道、この付近は膝折宿という宿場町であった。
膝折宿は室町時代らの古い宿場町と伝えられ、江戸時代には民家が立ち並び、
特産品を売る市も立ち、この地方の商業の中心地だったという。
少し離れるが、旧道を川から東側へ500メートル行くと、、脇本陣の高麗
家住宅
(屋号は村田屋)が残されている。
安永・天明期(1772~1789)頃の建築とされ、当時の旅籠の建築様式が残さ
れているという。
(個人宅であるため、建物内に立ち入ることはできない)
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なお、本陣は、街道をはさんで反対側、西に数十メートルほど行った郵便局
あたりにあったらしい。

川越街道の前後、一時的に遊歩道が途切れる。
いずれは整備されるのだろうが、現在は近くの道への迂回をする必要がある。
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川では多くの太公望が釣り糸を垂れていた。
コンクリート護岸が続く23区内の中小河川では見られない光景である。
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黒目川は朝霞台の南東500メートルほどの地点で東武東上線と交差する。
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その手前には土木学会デザイン賞受賞の掲示がある。
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河川の改修にあたり、付近の住民や市民活動団体の参加により計画を策定し、
自然環境の保護実現させたことが受賞につながったようだ。
近年、多雨化に伴い各地で河川改修工事が行われているが、このような事例
を取り入れて、治水と環境の両立を実現していくよう検討いただきたいと思う。

東上線を越えると、川は逆コの字型に蛇行していく。
所々に見られる水門は、用水路のためのものであろう。
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私事で恐縮ではあるが、今から30年以上前、東上線を利用して通学しており、
その頃、この辺りは農地が広がっていたことを記憶している。
今でこそ、住宅が立ち並ぶようになったが、この先、まだ広い畑がかなり残っ
ている。

川沿いにある近未来風の建物は、朝霞市総合福祉センターはあとぴあ
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花ノ木橋の先、右手にこんもりとした森が見える場所が朝霞城山公園である。
舌状台地の先端部に立地しており、岡の城山と呼ばれる。
室町から戦国時代の築城とされ、「新編武蔵風土記稿」の中で大田道灌や、
その曽孫新六郎康資との関係について述べられているが、城主名やその由来
等は不明である。(案内板より引用・編集)
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下の写真は物見櫓跡、接近する敵情を察知するため。展望のきく場所に設け
られたが、現在は木々が生い茂る。
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公園内にはアスレチック施設などもあり、子供達が興じていた。


黒目川は左に曲がり、その先に笹橋がある。
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その笹橋の南側の台地の上に柊塚(ひいらぎづか)古墳がある。
6世紀前半の前方後円墳とされ、前方部は後世の耕作などにより削られた
ものの、後円部の墳丘はかなりよい状態で保存されている。
数度にわたる調査では人物埴輪、円筒埴輪、馬形埴輪などの埴輪なども出
土されている。
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墳丘部への立入りはできないが、周囲は柊塚古墳歴史広場として公園整備
されている。

黒目川の最下流の橋である東橋の脇には、わくわく田島緑地という小公園
がある。ビオトープが整備され、付近の掲示板によるとここでもホタルの育成
が行われているようだ。
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その東橋から数百メートルほど行くと、黒目川は新河岸川に合流して終わる。
(写真左が黒目川)
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黒目川 2

やがて黒目川は西武池袋線と交差するが、その手前の北側に大圓寺がある。
天台宗の寺院で、天長年間(824-834)慈覚大師円仁が創建したと伝えられ、
東久留米七福神の恵比寿、福禄寿、寿老尊を安置する。
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山門の前には4つの石塔が置かれている。

写真右は東久留米市内で最古の延宝8年(1680)造立の庚申塔、
写真左は黒目川に架けた石橋の供養塔で天保6年(1835)に造られたもの、
観音立像が彫られている。(もとは黒目川沿いにあった)
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こちらの写真右は、延享3年(1746)の庚申塔、
写真左は天保9年(1838)に造られた馬頭観音塔で、旧下里村の秩父道
(所沢街道沿い)にあったものを移設した。
「東 いたはし五里、西 八わうし五里、南 江戸四つ谷五里、北 川ご絵五里」
という文字が彫られ、板橋・八王子・四谷・川越へいずれも五里ということ
からゴリゴリ馬頭と称されていた。
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大圓寺から数百メートルほど行くと、子ノ神社がある。
旧小山村の鎮守で、文禄元年(1592)、領主矢部藤九郎により勧請された。
古くは「根神明社」と呼ばれていたが19世紀以後には十二支の子を用い子ノ
神社と改称された。
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更に西武線沿いに向かうと小山台遺跡公園がある。
黒目川がつくったであろう傾斜地の上にあり、この付近一帯には先土器時代
(約2万年前)からの遺跡が認められるという。
昭和45年の発掘調査では、縄文中期の住居跡が3軒発見され、大きなムラ
があったことが明らかになった。
公園内には、その縄文中期の竪穴式住居の跡を復原したモニュメントがある。
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西武池袋線は東久留米の清瀬寄り400メートルほどの地点で、黒目川を渡
っている。
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その先、黒目川は蛇行しながら東へと流れていく。
大橋(門前大橋)に架かる道路を駅方向(南)へと行くと、門前稲荷神社
ある。
掲示板によると、この地には150年程前まで存在した覚宗寺(近隣の浄牧
院の末寺)の守護神として創建されたものという。
覚宗寺は廃寺となったが、浄牧院第三十一世住職が中心となり、昭和2年に
再建した。
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さて黒目川に戻ろう。

暫く歩くと、右岸から落合川が合流する。
東久留米市八幡町付近を水源とする河川で、平成の名水百選にも選定された
南沢湧水群からの清らかな水はこの落合川へと流れ込む。
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写真は合流地点下流の神宝大橋から撮影したもの。
写真右が本流の黒目川、左が支流の落合川である。
こうしてみると、落合川の方が水量が多く、川幅も広いため、どちらが支流
なのか疑問に感じる。

その合流地点に架かる神宝大橋から先、黒目川は埼玉県に入る。
都内ではコンクリート護岸であったのに対し、埼玉県に入った途端に土の
護岸へと変わる。
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左岸の川沿いの道は土の道となっており、自然を感じながら歩くことができる。
また右岸の遊歩道は自転車の通行を考慮して舗装されているので、足の状態や
好みに応じて選択できるのもよい。

途中、水際に下りることができる階段もあり、子供たちが川遊びに興じていた。
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馬喰橋の橋下を通る遊歩道から下流方向を望む。
黒目川は蛇行しながら、北東方向へと流れていく。
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やがて、関越自動車道が見えてきて、その下を通る。
関越道は防音壁に囲まれているが、ここは新座料金所のすぐ脇となる。
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関越道の先、市場坂通りが左岸に並行し、その脇を進む。
右岸に3箇所、水が勢いよく黒目川に流れこむ場所がある。
上流から中沢川、妙音沢の大沢、そして小沢である。
(小沢は数十メートル下流にあり、川がカーブしているため、写真には
 映っていない)
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中沢川は新座市野寺にある武野神社の崖下を水源とする3kmほどの河川
である。上流部は暗渠が続き、開渠となるのは関越道の北から合流部まで
の区間だ。

そして妙音沢、環境省選定による平成の名水百選の1つに指定されている。
江戸時代から信仰の場であり、盲目の琵琶法師が弁財天から琵琶の秘曲を授
かるという伝説があり、名前の由来ともなっている。

大沢と小沢があり、それぞれ黒目川へと合流している。
こちらは大沢、崖下から豊富な湧水が流れ出ている。
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そしてこちらが小沢、小沢とはいうもののこちらも相当な水量がある。
背面の崖は十メートルほどはあるだろうか。
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妙音沢付近一帯は、平成16年に都市緑地法に基づく特別緑地保全地区に
指定され、自然環境が保たれている。
最近、木製の遊歩道が整備され、湧水を見学しやすくなった。


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黒目川 1

黒目川は、小平霊園内のさいかち窪を水源とし、東久留米市・新座市を経由し
朝霞市根岸で新河岸川に合流する延長17.3kmの河川である。
落合川や出水川などの支流を持ち、妙音沢をはじめとして、豊富な湧水が流れ、
流域の市民の憩いの場ともなっている。

黒目川については、久留米川・来目川・久留目川・来梅川などと記された古い
文献もあるようだ。
落合川合流付近から下流地域を「黒目の里」と称していたことが由来とする
説や、水源近くの柳窪天神社の梅に由来する説など諸説があるが、はっきり
しない。

源流のさいかち窪は、小平霊園の北側、新青梅街道沿いにある。
小さな石橋があるが、水流は確認できない。
数年に一度、多雨時に付近の地中水量が飽和状態になると湧水が出現する。
なお「さいかち」というのはマメ科の落葉高木で、漢字では「梍」と表記する。
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(追記)
2015年9月、台風18号による大雨により、さいかち窪に湧水が出現した。
7年ぶりの湧水の出現だという。
写真はその際に訪問した時のさいかち窪の状態、普段からは考えられない量
の水がコンコンと流れていた。
(写真をクリックすると、大きく表示されます)
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新青梅街道を北側へ渡ると、水の流れが出現する。
新青梅街道下の雨水幹線からの放流である。
訪問日の前日に雨が降ったため水流が確認できるが、冬季の晴天時などは涸
れている。

川沿いに遊歩道が設置され、遊歩道を数百メートル辿っていくと、柳窪天神社
(黒目川天神社)前に 東京の名湧水57選に指定された湧水がある。
周辺には寺社林や屋敷林がひろがり、柳窪緑地保全地域として東京都環境局
からの指定も受けている。
但し、この湧水、二度ほどこの地を訪れたが、残念ながら水の湧出は確認でき
なかった。現在は常時水が湧き出るものではないらしい。
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(追記)
前掲のさいかち窪湧水出現時の同地点の状態。
川脇から水が湧き出ているのが確認できた。
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その湧水の前にある柳窪天神社
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境内には「柳窪梅林の碑」があり、安政4年(1857)、六所宮神主(府中大国魂
神社宮司)であった猿渡盛章が書いたもので、古い祠の脇にあった天神松と称
する老木が枯れるのを惜しみ、村人と梅林の植樹をしたことが記されている。
碑文には「来梅ノ荘の里」「来梅川」という名が記されており、前述の黒目川の
由来の1つもここから来ている。

天神社の東側に国の登録有形文化財に指定された村野家住宅がある。
東久留米市内に唯一現存する茅葺民家と、付随する土蔵や門が、平成23年
に文化財として指定された。
個人宅であるため見学はできないが、明治14年(1881)建築の薬医門は住
宅脇の道路から見ることができる。
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三方橋の先からは東久留米十小沿いに木製の遊歩道が続く。
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柳橋からは久留米西団地の中を流れて行くが、そこにはしんやま親水広場
称する親水公園が続く。
川の水が増えたのは、柳橋の下で雨水幹線からの放流があるからと思われる。
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遊歩道の地下には高さ、幅ともに2mの余水路が設けられ、雨天時でも親水路
の水位が40cmを超えないよう配慮がされている。

親水公園の途中にあった欄干、以前は相当狭い水路であったのであろう。
以前はフェンスに囲まれたコンクリート水路だったようだ。
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水辺に下りる場所もあり、近隣の子供たちの絶好の遊び場となっている。
131012_052.jpg

団地を過ぎると、数百メートルほどではあるが、川は住宅の裏を進み、川沿い
を歩けなくなる。(将来は遊歩道の計画があるらしい)
仕方なく右岸に並行する下里本邑通りを歩くことになるが、その道路の坂を下
ると、黒目川に再会する。

その交差部にあるのは氷川神社、門前の橋は氷川橋と称する。
創建年月は不明だが、長禄元年(1457)に再建したと記されている文書があ
ると由緒書きには記載されている。
現在は落合川沿いにある南沢氷川神社の管理下にあるようだ。
131012_057.jpg

都大橋から先、黒目川の姿は一変する。
河川整備が施されて川幅は大きく広がり、川の両岸に遊歩道が続く。
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都大橋から百メートルほど行くと、右岸に西妻川の合流口がある。
白山公園を源として、下里1丁目・2丁目の住宅地や畑の間を流れていく。
合流手前で雨水幹線に流れ落ちるためなのか、普段は黒目川に流れ込んでいない。
また冬季には水源は枯れ、水流はなくなる。
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平成橋手前では、今度は左岸から出水川が合流する。
萩山駅の北、オオカミクボと呼ばれていた窪地付近を水源とし、小平霊園の西
側を通り、黒目川の北側に並行するようにして流れ、この地で合流する。
131012_072.jpg

その先、川の北側には下里本邑遺跡館下里本邑遺跡公園がある。
(川沿いの遊歩道からは直接入れないため、迂回が必要)
昭和53年から56年にかけて発掘調査され、旧石器時代、縄文時代、弥生時
代、そして奈良・平安時代にわたる生活跡が発見された。
遺跡館には縄文時代早期の生活跡や地層が復元・展示されている。
131012_076.jpg

降馬橋とよしきり橋の間の右岸にはコカコーラの多摩工場がある。
工場からは浄化された水が黒目川に落とされており、黒目川の水源の1つとも
なっている。
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その工場からの水も加わり、水量は次第に多くなってる。
また、この辺りは中学校や高校があり、登下校時には生徒達の自転車が川沿い
の遊歩道を連なって走る。
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幸橋を過ぎると、右岸に楊柳川の合流口が見えてくる。
都営八幡団地付近から流れる河川で、全区間が暗渠である。
この付近には黒目川の旧水路(現在は遊歩道)があるが、楊柳川はその旧水路
に流れ込んでいた。
現在は遊歩道の地下を上流方向へ数十メートル引き回され、ここに流れ出ている。
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善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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