野川は、国分寺市東恋ヶ窪の日立製作所中央研究所内の大池を源として、世田谷区
玉川1丁目(二子玉川駅付近)で多摩川に合流する全長20.5kmの一級河川である。
川の北側には国分寺崖線(通称:ハケ)があり、崖線から湧き出る水などを集め
て流れていく。
古く(先史時代)は、古多摩川の川筋とされ、その古多摩川が国分寺崖線を形成
していったとされる。
まずは野川の源流である
日立製作所中央研究所内の
大池。
普段は閉ざされ武蔵野の自然が守られているが、春(4月)と秋(11月)の年2回、
一般公開が行われ、開放日には多くの見学者で賑わう。
(写真は2010年春公開時のもの)

その大池の北側にある湧水地点、園内にはこの他にも数箇所の湧水があるようだ。

大池の水は、西武国分寺線およびJR中央線を潜って線路の南側へと流れ出る。
いよいよ野川のスタートである。

この地点は国分寺駅から西へ10分ほど歩いた場所にあるが、途中、急坂を
下りていく。
国分寺崖線の凄さを感じることができる。
野川は暫く住宅街の中をはしご状開渠となって進んでいく。
残念ながら川沿いを歩くことができる箇所は殆ど無く、近くの道路に迂回して
歩かざるをえない。

国分寺街道が架かる
一里塚橋の上流側で
元町用水が合流する。
元町用水は、武蔵国分寺付近の真姿の池湧水群を水源として、当地で野川に
流れこむ。
途中、お鷹の道と称する遊歩道が水路沿いに整備され、国分寺市の観光地の
一つとなっている。

合流地点脇には、天保3年(1832)建立の石橋供養塔、延享2年(1745)建立
の庚申塔および不動明王碑(建立時期不明)がある。
石橋供養塔については、由来説明板に「
常に人に踏まれている石橋を供養す
る意味と、石橋を渡って村内に疫病や災いが入り込むのを防ぐ意味があると
伝えられています」との記載されている。

(写真左:石橋供養塔、写真右:庚申塔および不動明王碑)
さらに野川の北、国分寺駅の南側に
都立殿ヶ谷戸庭園がある。
大正2年(1913)から4年にかけて、江口定条(後の満鉄副総裁)の別荘として
整備され、昭和4年(1929)には三菱財閥の岩崎家の別邸となった。
園内の湧水は
東京の名湧水57選にも指定されている。

そして、園内の
次郎弁天池から出た水は暗渠として流れ、もみじ橋脇で野川に
合流している。
その先も、国分寺南部の住宅街を突き進む。
途中には直角に曲がるという珍しい光景を見ることもできる。
鞍尾根橋の脇で、東京経済大学キャンパス内の
新次郎池からの流れが合流して
いる。

新次郎池は、周囲の5箇所から水が湧出し、以前はわさび田として利用されて
いたという。
北澤新次郎学長の時代(1957~67在任)に池として整備されたことから、新次
郎池と呼ばれるようになった。
東京の名湧水57選の指定を受けている。

この鞍尾根橋を境に、野川の様相はガラリと変わる。
川の両岸には緑地帯が広がり、川辺を歩くことができるようになる。
この川辺の緑地帯は下流まで続き(中流以降は立入り不可)、人々の憩いの場
として、また多くの野鳥などの生活の場として活用されている。
このような護岸整備は、都区内の他の中小河川にはあまり見られず、野川の特
徴となっている。

西之橋付近の左岸では、旧流路跡を利用した散歩道がある。
野川の旧流路跡はここだけではなく、この先も何箇所に見られる。
現在は河川整備の結果、緩やかな流れとなっているが、以前はかなり蛇行して
いたことが判る。
散歩道の脇には人工水路が設けられ、子供達の遊び場にもなっている。

その先、野川の北側に
貫井神社がある。
境内のひょうたん池に架かる赤い橋が鮮やかだ。

創建は天正18年(1590)貫井弁財天と称して祀った。
明治維新の神仏分離令により、明治8年(1875)厳島神社と改称、更には貫井村
字一ノ久保鎮座の貫井神社を合祀、以降、貫井神社と称した。
神社本殿の左奥に湧水があり、ここも
東京の名湧水57選に指定されている。
先ほどの旧流路遊歩道脇の水路の水は、この湧水から取り入れている。

また大正12年(1923)には、湧水を利用して、長さ50mのプールが造られた。
(昭和48年廃止)
神社前にある貫井プールの碑には、青少年の体育向上と精神鍛錬に貢献した
と記載されている。

貫井神社に隣接しているのが、真言宗の
貫井山真明寺、かつては貫井弁財天
の別当寺であった。
創建年代は不詳、一説には永祿12年(1569)海宥の中興とも伝えられるが定
かではない。
延宝6年(1678)、大日堂と合併して当地に移転されたとされる。

荒牧橋の先で、
滄浪泉園からの支流が合流する。
滄浪泉園は三井銀行役員・衆議院議員などを歴任した波多野承五郎氏の別
荘地、現在は、庭園として開放(有料)されている。
国分寺崖線を巧く利用して作られた庭園で、静寂の中に小鳥たちのさえずりが
響き渡り、こちらもまた
東京の名湧水57選の指定を受けている。

池を出た水路は、遊歩道脇を流れて野川へと向かう。

こちらが野川との合流地点。

野川の川辺の所々に水辺に降りることができる石段があり、子供達が川遊びを
楽しむことができるようになっている。
また犬を散歩させながら川辺を歩く近隣住民の方々を見かける。
ただし緑地も放置すると雑草が生い茂ってしまうため、行政から委託された
業者が草刈りを行っている。
この環境を維持するのも、相当大変なようだ。

やがて野川は、前原小学校の校庭の下を暗渠となって通っていく。

その校庭の脇に野川の旧流路が遊歩道として残っている。
この水路跡を見ると、かつては狭い河川だったことがわかる。
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