神田川の支流、
小沢川は、
青梅街道の五日市街道入口交差点から始まる。
青梅街道には千川上水六ヶ村分水が流れていた。その末流がここまで続いて
いたかは判らないが、青梅街道沿いにスタート地点があるということは、分水
につながった可能性もあるかもしれない。

暗渠の歩行者道を歩いていくと、金太郎が描かれた車止めがある。
この金太郎、杉並区内の暗渠道のシンボルとして暗渠探索家には有名である
が、このように2つ並んでいるのは珍しい。
昭和47年(1972)頃からこの種の車止めが立ち始めたらしいが、既に40年
以上経過しており、最近はステンレス製の車止めに変えられつつある。

堀ノ内葬祭場に出ると左に曲がり荒玉水道道路と交差すると、その先は寺院
の敷地の中に入ってしまう。
そこにあったコンクリートブロック、橋跡のようである。

この堀ノ内周辺は、寺が数軒あり、ちょっとした寺町となっている。
その寺町の中で、特に広大でかつ有名な寺は、南にひろがる
妙法寺である。
「やくよけ祖師(おっそさん)」としても知られる。
元来は真言宗の尼寺であったが、元和年間(1615~1624)に日逕上人が老母
妙仙院日圓法尼の菩提のために日蓮宗に改宗。
日蓮の祖師像が厄除けに利益(りやく)があるということで、江戸時代より多くの
人々から信仰を集め、古典落語「堀の内」の題材にもなっている。
江戸市内からの日帰り参拝としてもちょうどよい距離であったのだろう。

こちらは江戸名所図会の
堀の内妙法寺。
(国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)小沢川が環七に差し掛かる箇所に、天台宗の
真盛寺がある。
寛永八年(1631)出身の真観上人によって、現在の文京区湯島に開創された。
その後、谷中清水町、本所小梅寺町に移され、大正11年にこの地に移転し
てきた。
延宝元年(1673)に三井高利が日本橋に越後屋を創業して以来の三井家一門
の菩提寺で、俗に三井寺とも称される。

境内には
新鏡ヶ池という放生池(捕らえた魚類などを放してやるための池)
があり、中島には弁財天が祀られている。旧高円寺村字中小沢の地名の由来
ともなった古池で、小沢川の水源の一つである。
門前には関係者以外立入り禁止の旨が記載されている立て札があるが、数年
前に訪問、許可を得て新鏡ヶ池を撮影させていただいた。
木々に囲まれて静寂な地に水を湛える池で、池底からは水が湧き出ているの
を確認できた。

環七を渡るとその脇に階段を下りていく歩行者用通路がある。
昼夜を問わず多くの自動車が行き交う環七の脇とは思えない光景だ。

その暗渠道を入っていくと、道沿いの住宅とは1メートルほどの段差を見ること
ができる。
住宅につながる階段や、放水のための土管などがあり、暗渠の雰囲気を充分
に感じられる区間だ。

歩行者用通路はほどなくして途切れ、一時的ではあるが一般道となり南下する。
その途中に交差する道路があるが、先ほどの妙法寺への参詣道(堀之内道)で
あり、江戸時代から続く古道だ。
江戸市中から青梅街道を通ってきた参拝客は、鍋屋横丁(新中野)で左折して
この参道を通って妙法寺へと至る。

江戸の町医者が記した随筆『塵塚段』にも「新宿より寺の門前まで水茶屋、料理
茶屋、其外酒食の店m数百軒庇をならぶ、日蓮宗にかぎらず、諸宗門の人も尊
敬して、年々月々に賑わしく繁栄なり」と参詣道の繁栄ぶりが記されている。
(杉並区教育委員会説明板より一部引用)
妙法寺方面へと進むと和田帝釈天通りと称する商店街となり、道沿いには
和田
帝釈天(
帝釈天教会)がある。
妙法寺の参道として賑わった江戸時代末期からの小さな寺院で帝釈釈天像、鬼
子母神像、日蓮聖人座像が祀られている。

小沢川へ戻ると、その先、再び、暗渠道となって進んでいく。

蛇行する箇所もあり、かつての小沢川の水流を彷彿とさせる。

小沢川には、もう1つ
杉並区和田1-60付近を水源とする400mにも満たな
い支流がある。(
清水窪と称していたらしい)
こちらの谷頭は草叢となっており、人を寄せ付けない。
そんな場所だが、杉並区と中野区の区界となっていることも興味深い。

支流と合流すると、小沢川は真っ直ぐと南下する。

再び金太郎の車止め、ここを数十メートル入っていくと
神田川に突きあたり、
行き止まりとなる。

丸ノ内線の中野富士見町駅脇にある神田川の富士見橋から合流地点を望む。
かつての合流口はコンクリートで埋められてしまっている(写真左)

現在は流路変更されて、富士見橋の反対側(上流方向)に小沢川の合流口
を見ることができる。
より大きな地図で 【川のプロムナード】神田川支流マップ を表示
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