神田川は、三鷹市の井の頭池に端を発し、台東区の柳橋先で隅田川に合流する
24,6kmの一級河川である。
古くは平川と称したが、徳川家康が江戸に入るにあたり、江戸市中の飲料水を確保
するため、神田用水として整備した。
文京区関口付近にあった大洗堰で取水し、小石川・本郷経由で、江戸の上水道とし
て使用された。
昭和前期の古地図を見ても、上流部では神田用水として記載されている。
大洗堰から飯田橋付近までを江戸川、それより下流を神田川と称していた。
江戸川については、有楽町線の駅名にもなっている江戸川橋にその名を残す。
昭和40年の河川法改正により神田川に名称が統一され、現在に至る。
その水源である
井の頭池からスタートする。
七井池という別名を持ち、七つの湧出口から成り立っていたらしい。
池の北西には、お茶の水という湧水がある。
家康が鷹狩りでこの地を訪れた際に、この湧水で茶をたてたことに由来する。
残念ながら、今は湧水は枯れてしまい、流れ出る水は地下水をポンプで汲み上げた
ものである。

池を反時計回りに進むと、
井の頭弁財天がある。
天慶年間(938-946)に源経基が弁財天女像を安置したのが始まりとされ、建久8年
(1197)に源頼朝が御堂を建立したそうである。
赤い社殿が、池の水や公園内の樹木の緑に映えて鮮やかだ。

都内屈指の公園である
井の頭公園、正式には井の頭恩賜公園という。
池の周囲は、散歩やジョギングをする人で賑わう。
また、アートマーケッツと呼ばれる露店やパフォーマンスを見ながら歩くのも楽しい。

井の頭池の東に位置するひょうたん池を経由して、神田川がスタートする。
写真左に見えるように、神田川源流の立て札があり、
「
ここが神田川の源流です。神田川は善福寺川、妙正寺川を合流して隅田川
に注いでいます」と記載されている。

草木が生い茂る散歩道を抜け、井の頭線のガードを潜ると、右手に広場が広がる。
その脇では親水エリアとなっており、子供達の遊び場となっている。

親水エリアの先は深い垂直護岸となる。
この先、井の頭5丁目付近を水源とした
井の頭支流(仮)が合流していたが、
今は合流口はコンクリートで埋められている。

その先、井の頭線が右岸に並行し、川の左手に立教女学院の校舎が見えると、
三鷹台駅に着く。

駅の先で再び井の頭線と交差し、南側へと渡る。
但し、この付近では川に沿って歩くことが出来ず、付近の道路へ迂回せざるを得ない。
迂回した先から、再び川沿いに遊歩道が始まる。
そこにあった7カ国語で書かれた看板、なかなかオツである。

神田橋からみずき橋の区間、蛇行した溝にそって川が流れる。
溝の周囲も緑化されており、気持ちいい光景だ。

そしてこの付近の桜並木も素晴らしい。
井の頭公園は桜の名所として有名だが、人で溢れかえるため、静かに桜を鑑賞したい
向きには、お勧めの場所である。

(写真は08年春に撮影)
みずき橋から先は杉並区に入る。
川沿いには100m毎に、距離を表示(下流の中野区境からの距離)した看板が
設置されており、歩く目安として助かる。

久我山の手前、宮下橋を左に行くと
久我山稲荷神社がある。
創建は不明だが、古来より久我山村の鎮守であり、昭和16年に村社となる。
7月の夏祭りに「湯の花神楽」が奉納されるが、これはこの地に疫病が流行した
際、村人が神楽を奉納し、祈願したところ、疫病がやんだという故事によるもの
である。

宮下橋から数百メートル歩くと、井の頭線の久我山駅の南口前に達する。
より大きな地図で 【川のプロムナード】神田川周辺マップ を表示
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