調布市深大寺東町8丁目付近を源として、谷戸橋上流で野川に合流する
入間
川を紹介する。
埼玉県にある荒川の支流に同名の河川があるが、そちらはイルマガワと呼ぶ
のに対し、こちらはイリマガワと呼ぶ。
三鷹市内では
中仙川と称され、また上流端の碑のは大川という河川名も記載
されている。
東八道路の南、深大寺東町8丁目13の道路脇に「入間川(大川)源流地跡」と
いう碑が立っている。

まずはそこにある説明文を引用してみよう。
かつて入間川は、中世の頃まで世田谷区砧二丁目付近で仙川と合流し、多摩
川にそそいでいた。慶長十六年(1611)六郷用水が完成するや、世田谷区喜
多見でこれと合流した。
また入間川源流地帯は、安政二年(1855)の大地震で水涸れがおこった。
その対策として明治四年(1871)深大寺用水が開設されるや、その東堀はこ
の地で川をはさんで二つに分かれて南下し、一部は野ヶ谷団地の南で入間
川に合流することとなった。昭和四十二年(1967)野川の流路変更工事に
より、この川は入間町二丁目付近で野川と合流するにいたった。ここの湧水は「釜」と呼ばれ、流域の水田を潤していたようだ。
また、最後の一文にある野川の改修とは、昭和41年の台風4号による浸水被
害を受けて行われた工事であり、小金橋付近から入間川合流までの区間を開
削し、入間川下流部を野川として再整備したものである。(別資料によると昭和
44年の完成とある。)
この時の流路変更については、
六郷用水1の項にて図示したので、参照頂
きたい。
道路に沿って300mほど歩くと三鷹通りと交差する。
入間川の川筋を離れて、三鷹通りへ右折、1分ほど歩くと
諏訪神社がある。
創建年代は不明、この地は諏訪久保といわれる谷戸田で、入間川の源流の湧水
地帯であったことから、水の関わる祭神として祀ったのが始まりではないかとされる。
明治43年(1910)に野ヶ谷五丁山の稲荷社と同南台の御嶽神社が合祀されて
諏訪神社となったという。

境内東側に細い道があるが、深大寺用水東堀の跡である。
入間川に戻り、川跡の道路を南下していく。
この道路は自動車の往来が多く、歩行には注意が必要である。

道路は野ヶ谷団地(とはいっても戸建て住宅が建ち並ぶ)の中を蛇行しながら
進んでいく。
かつて、この辺りは野ヶ谷田圃と言われる田園地帯であったらしい。

原山交差点の脇から、入間川は一般道と別れ、歩行者用道路となる。

コンクリート蓋に覆われた暗渠道が続く。
道路沿いの住宅が花壇として使用しているのであろうか、道沿いには緑が続く。

入間川暗渠の歩行者道はその先で中央高速道路に突き当たる。
高速道路の下、川は開渠となっている。
残念ながら、水の流れは確認できない。

入間川は台地に突き当たり右へと曲がるが、その先に川沿いの道はない。
台地の上にある
中嶋神社に立ち寄ることにする。
創建年代は不明だが、元禄年間(1688~1704)に土地の崇敬者により建て
られたと伝えられ、棟札にも元禄の記入があるという。
また、境内には中仙川不動堂(創建不明)などもあり、閑散ながら見所は多い。

入間川に戻ると、清らかな水流が確認できた。
迂回をしている区間の間に湧水があるのだろうか。

開渠はこの場所までで、これから先は再び暗渠となる。
川の上は
中仙川遊歩道と名づけられた緑道が甲州街道近くまで続く。
先程の中央高速との交差付近から三鷹市内となっており、前述の通り、中仙
川の名で呼ばれている。

遊歩道沿いには、かつて川に架けられていた近幸橋の銘板が残っている。

この辺りから中仙川の流れは2つに分かれる。
tokyoriverさんの
東京の水 2009 fragmentsの記事によれば、流路は
より複雑であったようだが、ここでは簡単に判る2つの流れを追いながら紹介
することにしよう。
判りやすくするために、2つの流れを北側水路と南側水路と称することとする。
中仙川遊歩道はそのまま南側水路を進んでいく。
中仙川通りとの交差している場所には、中仙川橋の親柱が残されている。

対して北側水路は中原公会堂付近から細い暗渠道が続いている。
暗渠を辿りたいという方には、北側水路の方がお勧めである。
2つの水路は100mほどしか離れていないため、両方を見ながら進んでいく
ことも可能だ。

北側水路には途中、フェンスで封鎖された区間もある。

こちらは南側水路、相変わらず中仙川遊歩道が続き、京王線のつつじヶ丘駅
への通路として利用されている。

この付近では入間川を挟んで両側が高台となっている。
その高台には滝坂遺跡、羽毛遺跡など石器時代から古墳時代までの遺跡が
数多く発見されているという。
また入間川の谷筋は現在は住宅地となっているが、かつては旧中仙川村の
水田が広がっていたことは容易に想像できる。
2014年6月、三鷹市や調布市などで大量の雹が降り、住宅地の道路に数十
センチほど積もったことが大きく報道されたが、その場所はこの周辺である。
おそらく周囲の高台から、雹が谷に向けて流れ込んだのであろう。
さきほど、フェンスで封鎖された北側水路の区間の先からは、再び暗渠の歩
道が続く。

そして甲州街道手前で、北側水路と南側水路は合流する。