旧野川

狛江市内を流れていた野川旧水路を追ってみた。

現在、野川は柴崎・国領の間で京王線を交差した後、東進し、調布市入
間町で北から入間川を合わせて南下、成城と喜多見の間を通って二子
玉川方面へと流れている。
しかし昭和四十年代初頭までは狛江市内を蛇行しながら流れていた。

野川流域にはもともと田畑が広がっていたが、高度成長期ともなると家
が建ち始め、家庭や工場からの雑廃水により水嵩が増し、台風や集中
豪雨時には堤防が決壊することが多くなってきた。
そして決定的な事象は、昭和41年(1966)6月の台風4号による水害で
あった。
岩戸橋付近が決壊し、浸水面積は118ha、床上浸水772世帯、床下浸
水918世帯、合わせて5800人の被災者を出す結果となった。
この被害を受けて、町議会(当時は狛江町)は「野川改善工事の促進に
関する決議」を議決、決議文と請願書を東京都へ提出した。
その結果、神代団地から調布市境を通って入間川と合流し、成城の崖下
を通るという、現在のルートに移設された。
完成は昭和42年6月、台風被害の1年後という早さである。
旧野川の跡は「グリーンネットワーク計画」の一環として、昭和51年には
野川緑地公園が整備されている。

出発地点は、小金橋のすぐ下流、写真右手の護岸付近で旧野川は南へ
と流れていたようだ、
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ここから野川緑地公園が始まる。
長さ2.2km、平均幅員約10mの緑道である。
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緑道には約4500本の樹木が植えられているという。
歩いた時期は真夏であったが、木陰が多くて暑さを避けることができた。
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旧野川の東、現野川との間に子之三嶋神社が鎮座している。
創建年代は不詳、旧覚東村の子ノ神社と称し、同村の三嶋社を合祀、明治
4年、村社に列格した。
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さらに歩いていくと大橋の欄干と改修記念碑が保存されている。
写真手前の橋の親柱には「昭和36年2月28日竣功」と記されている。
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緑道内には所々に児童遊具が設置されている。
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その先、緑道の西側には小足立八幡神社がある。
緑道側からだと、住宅地を迂回して行くため、少しばかり歩くこととなる。
こちらも創建年代は不明であるが、境内の記念碑の碑文によれば、元禄
十年(1697)の小足立村の検地帳に「八幡宮」と記載されており、相当の
古社であるようだ。
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急カーブする緑道、かつての野川が大きく蛇行していたことが想像できる。
この蛇行が水害を大きくした一因かもしれない。
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松原通りとの交差部分には、かつて御台橋という橋が架けられおり、付近
の小さな商店街にもその名を残している。
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通りを渡った先、緑道の右側に御台橋(御臺橋)の親柱が保存されている。
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時折、ウォーキングやジョギングをしている人とすれ違う。
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最後の500メートルほどの区間は道路に沿って緑地帯が続く形となる。
これまでとは違って流路は直線となっているが、これはまだ野川が流れて
いた頃、耕地整理されたためである。
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その先で野川は六郷用水へと合流していた。
写真奥に見えるのは小田急線の高架橋、以前は地上を走っておりそこに
は小さな鉄橋が架かっていた。
野川が大雨で増水すると小田急線が不通になることもあったという。
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古い地形図を見ると、六郷用水はこの先、野川の支流である入間川を合
わせ、現在の東名高速道路と交差する辺りで再び野川を分けている。
言葉では説明しきれないので、六郷用水の記事を書く際に作成した概略
図を再掲して、この項を結ぶこととする。
野川改修前
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野川改修後(現在)
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《参考資料》
『狛江市史』 狛江市史編さん委員会
『ちょっとむかしの狛江 水の記憶を訪ねて』 狛江市教育委員会



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小金井野水

小金井市南部を流れる野川の支流、野水(野溝ともいう)を取り上げる。
野水という名前は、一般的には窪地からの小流を意味する。
そのため野水と呼ばれる場所はここだけではなく、例えばやや下流の野川公園の
地名は調布市野水となっている。
そのため他と混同しないように、ここでは小金井野水として扱うこととしよう。

小金井野水は小金井市前原地区を流れる小さな流れである。
今でこそ周囲には住宅が立ち並ぶが、おそらく昭和初期頃までは森が広がる武蔵
野の原野的な風景が広がり、小金井野水がその中を流れていたのではないだろうか。
そのような流れであるがために、小金井野水について書かれている文献は見当たら
ないが、小金井市文化財センターの展示パネルの中に、野水について説明してい
るものがあったので、その一部を引用してみよう。

…今は忘れ去られてしまった川に野水(野溝)があります。(中略)水源地(野
水場)は府中市新町2-9の一帯(現府中第五中西)でした。
例えば調布市野水などの地名の残るように、小金井近辺には野水と称する雨期
に氾濫を起こす低地帯が他にもありましたが、この野水は最後まで太古の川とし
ての形態を残したものです。
(中略)野水の流域には蛇窪あるいは蛇窪台という旧地名が残り、野水が蛇行し
て流れる意味かもしれません。


ということで、今回のスタートは上記説明文にある府中市新町2-9とする。
いちょう通りと称する南北の通りの東側一帯の住宅地である。
訪れてみると僅か数十センチとはいえ、周囲からはわずかに窪地となっていることが判る。
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ここを水源として小金井野水が流れ出していたということだろう。
残念ながら、現在は住宅や畑地となっており、流路を見出すことはできない。
しかたなく、東へと向かう道路を歩いていく。
行く手に見えるのは府中第五中学校、この中学校のどこかに小さな小川が流れて
いたのだろうか。
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水路として最初に確認することができるのは。中学校の先のふじの木公園と称する
小さな児童遊園。
ここから東へと水路跡の歩行者道が続いている。
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その歩行者道は100メートルほどで小金井街道へと出てくる。
写真は小金井街道に出てきた場所。
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小金井街道から先、暗渠道が続く。
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続いて新小金井街道を渡り、歩行者道は北東へと向かう。
道路との交差部分には段差があり、スロープや階段が設けられている。
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やがてその歩行者道は東八道路にぶつかる。
東八道路を越えると、小金井野水の水路跡は前原遊歩道という緑道に変わる。
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緑道は東へと向きを転じ、東八道路に並行するように進む。
この遊歩道は舗装されておらず、土がむき出しのままで歩きにくい。
殆どの方は東八道路の歩道を利用するのではないだろうか。
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その先で緑道は、東八道路に飲み込まれてしまう。
仕方なく歩道を150mほど進むと、今度は前原町四丁目遊歩道という名前にな
って現れる。
但しこの遊歩道は100メートルもない蓋暗渠の道路であり、その先は住宅の間の
暗渠(通行禁止)へとなってしまう。
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前原1丁目交差点の北へと回り込むと、小金井野水は石材店の脇で突然、開渠
となって顔を出す。
開渠といっても十数メートルの区間であり、石材店の周囲のここだけ暗渠化を免れ
た感がある。
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この辺りは石材店や仏具店が多いが、多磨霊園が近いためであり、東八道路の
南側には広大な霊園が広がっている。
多磨霊園は大正12年(1923)に開園した我が国最初の公園墓地であり、128
ヘクタール(東京ドーム27個分)という広大な面積を持つ。
霊園内には数多くの著名人が埋葬されており、故人を偲ぶことができる。
写真は「若い人」「青い山脈」などの著作で知られる石坂洋二郎の墓所、東八道
路側の小金井門からも近い。
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先ほどの開渠の場所から一般道を越えて反対側、今度は前原町一丁目遊歩道
が始まる。
先ほどは四丁目、今度は一丁目と、小金井野水の遊歩道は丁目ごとに遊歩道の
名称が変わる。(更に辿るとこの先、二丁目遊歩道となる)
このように名前がコロコロ変わる遊歩道というのも珍しいかと思う。
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前原の住宅の間を進んでいく遊歩道、人とすれ違うことは少ないが、その割には整
備が行き届いている。
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前原2丁目8番付近で緑道は右折する。
かつてこの辺りで、野川沿いを流れていた田用水と合流していたという。
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遊歩道に沿う道路が上り坂となり、段差が生じる。
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一般道との交差部にある橋の痕跡。
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橋跡から数十メートルほど行くと遊歩道は終了してしまう。
さらに住宅街の中を200メートルほどいくと、武蔵野公園に突き当たり、その手前を
左に折れると、野川に架かる小金井新橋に出る。
その小金井新橋のたもとには大きな吐口があり、ここで小金井野水は野川へと合
流している。
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※ ふじの木公園より上流側は推定ルートです。

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入間川(中仙川) 2

甲州街道を越えると、入間川は開渠となる。
入間橋脇にある標識には、「上流端」の文字が見え、公式にはここが上流端で
あることが判る。
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その先、京王線と交差する。(写真は下流側からの光景)
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住宅地の間を抜けていく入間川、川は東つつじヶ丘と若葉町の境界線ともなっ
ている。
川沿いに歩ける区間は少ない。
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西野橋の上流には入間川分水路の取水施設がある。
平成17年(2005)豪雨により流域一帯が浸水被害に見舞われ、その対策とし
て分水路が施工、平成25年に分水路が完成した。
分水路はここから西へ円形管およびボックスカルバート管で道路の下を通り、
野川の小金橋下の吐口につながる。
普段は少ない水流の入間川だが、大雨ともなると濁流となるのであろう。
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梯子状開渠が続く。
写真の奥に見える白い建物は武者小路実篤記念館である。
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その武者小路実篤記念館、実篤が晩年を過ごしたこの地に昭和60年(1985)
に開館、原稿や絵画などを展示している。
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『友情』や『愛と死』などの著作で知られる武者小路実篤(1885~1976)は、
昭和30年(1955)、70歳の時にこの地に移住し、以後、20余年を過ごした。
実篤は水がある所に住みたいという願望を子供の頃から持ち続け、入間川沿
いの当地を仕事場兼住居として選んだという。

記念館に隣接する敷地は実篤公園として一般開放されている。(記念館は有
料だが、公園は無料)
実篤公園は崖地にあり、上部には旧実篤邸が保存されている。
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また、公園内には上の池、下の池の2つの池があり、訪れる人も多い。
上の池には湧水が流れ込んでいる。
にじますの池とも称され、池にはニジマスが泳いでいる。
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こちらは下の池、公園内は都内とは思えない静寂に包まれ、野鳥の声が響き
渡る。
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記念館から先、600mほどの区間は川沿いには歩くことができない。
仕方なく、川の東側の道を歩き続けることとなる。

明神橋から先、ようやく川沿いを歩くことができるようになる。
川の左岸には都営調布入間町二丁目アパートの団地群が建ち並ぶ。
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その先、右手の段丘上にあるのが、天台宗の寺院である明照院
天文年間(1532~55)法印秀海により開山、当初は東叡山末であったが、正
徳元年(1711)に深大寺末となる。
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その南側に隣接して、糟嶺神社がある。
由緒については不明、鎮座している高台は多摩郡の4墳陵の一つとされ、丸
山と称していたという。
墳陵は高さ2間2尺(4.29m)、根廻り76間余(150.48m)とされる。
昔は墳陵の下に社殿があったが、宝暦8年(1759)に墳陵上に遷座としたという。
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糟嶺神社の境内から望む入間川。
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糟嶺神社から300mほど下流で、入間川は野川に合流する。
そこは野川の小足立橋と谷戸橋の中間付近、野川の川辺に降りる階段があり、
合流地点を間近に見ることができる。
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入間川(中仙川) 1

調布市深大寺東町8丁目付近を源として、谷戸橋上流で野川に合流する入間
を紹介する。
埼玉県にある荒川の支流に同名の河川があるが、そちらはイルマガワと呼ぶ
のに対し、こちらはイリマガワと呼ぶ。
三鷹市内では中仙川と称され、また上流端の碑のは大川という河川名も記載
されている。

東八道路の南、深大寺東町8丁目13の道路脇に「入間川(大川)源流地跡」と
いう碑が立っている。
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まずはそこにある説明文を引用してみよう。
かつて入間川は、中世の頃まで世田谷区砧二丁目付近で仙川と合流し、多摩
川にそそいでいた。慶長十六年(1611)六郷用水が完成するや、世田谷区喜
多見でこれと合流した。
また入間川源流地帯は、安政二年(1855)の大地震で水涸れがおこった。
その対策として明治四年(1871)深大寺用水が開設されるや、その東堀はこ
の地で川をはさんで二つに分かれて南下し、一部は野ヶ谷団地の南で入間
川に合流することとなった。昭和四十二年(1967)野川の流路変更工事に
より、この川は入間町二丁目付近で野川と合流するにいたった。


ここの湧水は「釜」と呼ばれ、流域の水田を潤していたようだ。
また、最後の一文にある野川の改修とは、昭和41年の台風4号による浸水被
害を受けて行われた工事であり、小金橋付近から入間川合流までの区間を開
削し、入間川下流部を野川として再整備したものである。(別資料によると昭和
44年の完成とある。)
この時の流路変更については、六郷用水1の項にて図示したので、参照頂
きたい。

道路に沿って300mほど歩くと三鷹通りと交差する。
入間川の川筋を離れて、三鷹通りへ右折、1分ほど歩くと諏訪神社がある。
創建年代は不明、この地は諏訪久保といわれる谷戸田で、入間川の源流の湧水
地帯であったことから、水の関わる祭神として祀ったのが始まりではないかとされる。
明治43年(1910)に野ヶ谷五丁山の稲荷社と同南台の御嶽神社が合祀されて
諏訪神社となったという。
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境内東側に細い道があるが、深大寺用水東堀の跡である。

入間川に戻り、川跡の道路を南下していく。
この道路は自動車の往来が多く、歩行には注意が必要である。
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道路は野ヶ谷団地(とはいっても戸建て住宅が建ち並ぶ)の中を蛇行しながら
進んでいく。
かつて、この辺りは野ヶ谷田圃と言われる田園地帯であったらしい。
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原山交差点の脇から、入間川は一般道と別れ、歩行者用道路となる。
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コンクリート蓋に覆われた暗渠道が続く。
道路沿いの住宅が花壇として使用しているのであろうか、道沿いには緑が続く。
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入間川暗渠の歩行者道はその先で中央高速道路に突き当たる。
高速道路の下、川は開渠となっている。
残念ながら、水の流れは確認できない。
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入間川は台地に突き当たり右へと曲がるが、その先に川沿いの道はない。

台地の上にある中嶋神社に立ち寄ることにする。
創建年代は不明だが、元禄年間(1688~1704)に土地の崇敬者により建て
られたと伝えられ、棟札にも元禄の記入があるという。
また、境内には中仙川不動堂(創建不明)などもあり、閑散ながら見所は多い。
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入間川に戻ると、清らかな水流が確認できた。
迂回をしている区間の間に湧水があるのだろうか。
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開渠はこの場所までで、これから先は再び暗渠となる。
川の上は中仙川遊歩道と名づけられた緑道が甲州街道近くまで続く。
先程の中央高速との交差付近から三鷹市内となっており、前述の通り、中仙
川の名で呼ばれている。
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遊歩道沿いには、かつて川に架けられていた近幸橋の銘板が残っている。
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この辺りから中仙川の流れは2つに分かれる。
tokyoriverさんの東京の水 2009 fragmentsの記事によれば、流路は
より複雑であったようだが、ここでは簡単に判る2つの流れを追いながら紹介
することにしよう。
判りやすくするために、2つの流れを北側水路と南側水路と称することとする。

中仙川遊歩道はそのまま南側水路を進んでいく。
中仙川通りとの交差している場所には、中仙川橋の親柱が残されている。
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対して北側水路は中原公会堂付近から細い暗渠道が続いている。
暗渠を辿りたいという方には、北側水路の方がお勧めである。
2つの水路は100mほどしか離れていないため、両方を見ながら進んでいく
ことも可能だ。
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北側水路には途中、フェンスで封鎖された区間もある。
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こちらは南側水路、相変わらず中仙川遊歩道が続き、京王線のつつじヶ丘駅
への通路として利用されている。
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この付近では入間川を挟んで両側が高台となっている。
その高台には滝坂遺跡、羽毛遺跡など石器時代から古墳時代までの遺跡が
数多く発見されているという。
また入間川の谷筋は現在は住宅地となっているが、かつては旧中仙川村の
水田が広がっていたことは容易に想像できる。

2014年6月、三鷹市や調布市などで大量の雹が降り、住宅地の道路に数十
センチほど積もったことが大きく報道されたが、その場所はこの周辺である。
おそらく周囲の高台から、雹が谷に向けて流れ込んだのであろう。

さきほど、フェンスで封鎖された北側水路の区間の先からは、再び暗渠の歩
道が続く。
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そして甲州街道手前で、北側水路と南側水路は合流する。
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元町用水

国分寺市内を流れる野川の支流、元町用水を取り上げてみる。
武蔵国分寺付近の崖線から流れ出る湧水を集めて流れる小河川で、またの名
清水川という。
水路脇の遊歩道は、お鷹の道として整備・観光地化されているので、そちらの
名前からピンと来る方も多いかもしれない。

いくつかある水源の中で、最上流として把握できるのは武蔵国分寺跡資料館
の敷地内(「おたかの道湧水園」と称する)にある湧水源であろう。
湧水源保全地区となっているため、水が湧き出るポイントに近づくことはできな
いが、資料館裏の観察ポイントでは森の中から流れて出てくる湧水を見ること
ができる。
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元町用水を辿る前に、武蔵国分寺について軽く触れておきたい。
天平13年(741)、聖武天皇は「国分寺建立の詔」を出し、諸国に国分寺と尼寺
の設置を命じた。
武蔵国に置かれた国分寺は国府(現府中市)の近く、東山道武蔵路沿いのこの
地が選ばれ、建立された。
諸国に建てられた国分寺の中では一番規模が大きく、東西1.5km、南北1km
に及ぶ範囲に寺院などが存在した。
下の写真は資料館内にある復元模型で、金堂、講堂や七重塔などがあったこ
とがわかる。
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こちらは都立武蔵国分寺公園内にある金堂跡の礎石。
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東山道武蔵路の西側(現在の武蔵野線の西側)には、国分尼寺跡の市立歴史
公園
があり、礎石が復元されている。
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現在の国分寺(医王山最勝院国分寺)は、真言宗豊山派の寺院であり、武蔵
国分寺公園の北方にある。
元弘3年(1333)の分倍河原の戦いで敗れた新田義貞は、その敗走中、国分
寺を焼失させ、建立から600年近く続いた武蔵国分寺は終わる。
その後、義貞は後悔の念からか、2年後の建武2年(1335)、薬師堂を寄進する。
写真は国分寺の本堂、享保18年(1733)に再建、昭和62年(1987)に改築
されている。
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国分寺境内には万葉植物園があり、万葉集に因む約160種の植物を展示して
いる。

こちらは江戸名所図会の『国分寺』。
右下には本堂が、上部には薬師堂が描かれている。
国分寺
                       (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

さて、元町用水を辿っていくことにしよう。
前述の湧水からの流れは、国分寺と湧水園の間に流れ出てくる。
水路の脇にはお鷹の道と呼ばれる遊歩道が始まる。
寛延元年(1748)、国分寺市内の村々が尾張徳川家の御鷹場に指定されたこ
とに由来するという。
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上の写真の道を左折したところにあるのが、武蔵国分寺跡資料館
有料であるが、国分寺の歴史を知る上で、是非とも立ち寄ってほしい。
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遊歩道をさらに進むと、真姿の池湧水群からの流れが合流する。
真姿の池湧水群は、環境庁の名水百選、および東京都環境局の東京の名湧
水57選
に選定されている。
季節を問わず、国分寺崖線(ハケ)から豊富な水が湧き出し、その量は1日に
約千立方メートルに及ぶ。
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水流脇には農家の直売所もあり、都内から数十分とは思えない光景が見られる。

こちらが真姿の池、その由来には次のような言い伝えがある。
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嘉祥元年(848)、不治の病に苦しんだ玉造小町が、病気平癒祈願のため国分
寺を訪れて21日間参詣すると、一人の童子が現れ、小町をこの池に案内し、
この池の水で身を清めるようにと言って姿を消したので、そのとおりにしたところ、
たちどころに病は癒え、元の美しい姿に戻った。
それから人々はこの池を真姿の池と呼ぶようになったという。
                                (東京都教育委員会説明板より引用)

真姿の池湧水群からの水流を加えて、水路の水量は増す。
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お鷹の道が終わると、水路は住宅の間を通り抜けていく。
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迂回した先では、梯子状開渠となって流れ出てくる。
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元町用水は、一里塚橋の上流で野川に合流する。
合流口は思いのほか小さく、目立たない。
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距離としては1kmほどと短いが、歴史に触れてながら湧水を楽しむことができ
る散策路である。

《参考文献》
『国分寺 歴史・観光マップ』 国分寺市観光協会


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リバーサイド

Author:リバーサイド
善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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