葛西用水 5

常磐線を越えて、葛西用水は更に南下していく。
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その常磐線を越えた辺りで、葛西用水は古上水堀中井堀中居堀)、
井堀
西井堀に分水され、西井堀から更には千間堀が分かれていた。
古上水堀の東側には中井堀が四ツ木付近まで流れており、二条の水路と
なっていた。
下図は、資料とした『葛西用水 -曳舟川をさぐるー』に描かれていた昭
和初期の地図を基に記載してみたものである。
亀有堀

常磐線交差地点から300メートルほど行くと、江北橋通りとの交差点があり、
そこから3kmほどに渡り、曳舟川親水公園が続く。
ここから先は葛西用水というより、曳舟川の名称の方が一般的かもしれない。
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ここで曳舟川の由来について簡単に触れておこう。
引舟は亀有村と篠原村(現四ツ木)の間の28間(約3km)ほどの水路を
利用して、「サッパコ」という小舟に人を乗せ、土手の上から綱で小舟をひ
くという交通事業である。
帝釈天詣や水戸街道に出る旅人の交通手段として利用されていた。
この引舟が転じて、曳舟川という名前が付けられた。
葛飾区の説明板では四ツ木までと記載されているが、墨田区にも曳舟川
通りなどの道路名も残っているので、小梅(現墨田区向島)辺りまでは行わ
れていたようである。

安藤広重の名所江戸百景にも引き舟の様子が描かれている。
四ツ木通用水引ふね
名所江戸百景 四ツ木通用水引ふね』 
           (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

公園内には人工のせせらぎが流れており、周辺住民の憩いの場として活
用されている。
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前述の通り、古上水堀と中井堀の2つの水路が並行して存在していたよう
だが、現在ではそれぞれの堀を見出すことはできない。
左右の通りが水路跡ということになるのだろうか。

緑道の東側に浄土真宗大谷派の本多山蓮光寺がある。
蓮光寺は江戸初期。三河国 刈谷の領主・本多忠春により岡崎に開基、
慶長14年、三河より神田に移された。
その後、浅草を経て、昭和3年(1928)亀有の地に移転した。
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曳舟川親水公園には3箇所の水遊び場がある。
訪問したのは6月上旬であったので水は無かったが、夏場には子供たちの
恰好の遊び場になるのであろう。
所々に東屋風の休憩所があり、散策の足を休めることができるのは有難い。
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水遊び場以外の場所には人工のせせらぎが続く。
ザリガニ採りに興じる家族連れも何組か目にすることができた。
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再び水遊び場が広がる。
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やがて左手にドームがある建物が見えてくる。
葛飾区郷土と天文の博物館である。
プラネタリウムを有し、家族連れを中心として来訪者は多い。
殆どの来訪者はプラネタリウムを目的としているが、郷土展示のコーナーも
充実しており、観覧をお勧めする。
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その先の緑道内に、田圃が現れた。
これは博物館が体験学習のために設置しているものである。
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お花茶屋駅の東側で京成本線を渡る。
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この辺り一帯は、江戸時代、将軍の鷹狩り場であった。
八代将軍吉宗は、鷹狩の際に腹痛を起こし、近くの新左衛門茶屋に駆け込んだ。
茶屋の娘、お花の手厚い看病により将軍は快癒し、将軍から「お花茶屋」
の名を授かったという話がこの地名の由来である。

緑道の1ブロック西にも、明らかに暗渠と判る道路が続く。
本記事冒頭の地図で紹介した千間堀である。
千間堀は亀有から並行して西側を流れ、この先で右へと離れていく。
『葛西用水 -曳舟川をさぐるー』では、農業用水ではなく、鷹狩用の鴨の
餌付け場として掘られたものと推察しており、興味深い。
(後年、農業用水路に転用)
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京成線を渡った先、なおも親水公園が続く。
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四ツ木へと入ると、緑道に吉野園を紹介する説明板があるので、引用して
紹介してみよう。
吉野園は江戸時代には吉野屋といい、四ツ木通りの曳舟川(古上水堀)
沿いの「藤棚の茶屋」として知られていました。明治時代になると「四ツ木
の花屋敷」と称され、20年代には吉野園を開園、堀切とともに東京名所
のひとつに数えられました。
(中略)
昭和10年代には戦時下の影響を受けて相次いで閉園し、江戸期以来の
伝統と繁栄に幕が下されました。

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その先で水戸街道に突き当たり、亀有から続いてきた曳舟川親水公園は
終了する。
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その南側の住宅街の中に四つ木白髭神社が鎮座する。
承応3年(1654)四つ木村が立石村から分村した際に、四つ木村の鎮守
として勧請された神社。
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水戸街道を渡った先で、冒頭に紹介した古上水堀と中井堀が分かれる。
写真中央のマンションの右側が古上水堀、左側の自動車が停車している
道が中井堀の跡である。
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水戸街道の先にも四つ木めだかの小道と称する小さな親水公園が続く。
行く手の先には東京スカイツリーを望むことができ、こちらにもせせらぎが
流れている。
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親水公園の南側には、天台宗寺院の超越山西光寺がある。
嘉禄元年(1225)、関東の豪族である葛西三郎清重の創建と伝えられ、
西光寺は清重の閑居の地でもあった。
もともとは浄土真宗の寺院であったが、国府台合戦(永禄7年(1564))
や水害により衰退、寛永年間(1624~43)天台宗寺院として中興した。
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親水公園の中ほどに、古代東海道の説明板があった。
街道については詳しくないが、説明板によれば、大化の改新(645)以降に
全国に交通路が整備され、宝亀2年(771)には葛飾区内を東西に横断す
る東海道が造られ、武蔵国府と下総国府・常陸国府を結んだという。
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四つ木めだかの小道は200メートルちょっとの短い緑道であり、綾瀬川手
前で終わってしまう。
荒川沿いに走る首都高速中央環状線も間近に見えるようになってきた。
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新四ツ木橋への取り付け道路の下には、水が溜まっている場所がある。
水は緑色で淀んでいる。
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そして、こちらが綾瀬川への水門。
ここで葛西用水(曳舟川)は綾瀬川で合流していた。
今回の葛西用水の紹介はここで一応の終了としたい。
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但し、都区内における葛西用水の前身である亀有用水は、綾瀬川とクロス
した後、業平橋方面へと続いていた。
また明治期の地形図でも、その先に「古上水」の文字を付した水路を確認
できる。
新四ツ木橋で荒川を渡り(荒川放水路は大正13年(1924)の完成であり、
明治後半までは存在していない)、その先を歩いてみた。
曳舟川通りと名付けられた道路が続き、また途中、曳舟川を由来とする東
武線の曳舟駅や、京成線の京成曳舟駅の駅名以外には、これといった痕
跡は見られなかった。
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《参考資料》
『葛西用水 -曳舟川をさぐるー』 葛飾区郷土と天文の博物館


 
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葛西用水 4

葛西用水はつくばエクスプレス線をくぐって更に南へと流れていく。
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つくばエクスプレスとの交差地点から400メートルほど行くと、桁川と合流する。
桁川は綾瀬川の旧流路であり、東へ流れる中川へ通じている。
川沿いには糸を垂れている太公望の方々を見ることができる。
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既に記した通り、亀有溜井への補給を目的として造られた葛西用水であっ
たため、開削当初の葛西用水はこの地で終わる。
しかしながら、葛西用水に並行して造られていた亀有上水が享保7年(1722)
に廃止されたため、ここから先は亀有上水が農業用水として転用された区
間とうことになるであろう。

桁川への合流地点の対岸に水門があり。この先、再び葛西用水が始まる。
桁川が都県境となっており、いよいよ埼玉県から東京都足立区へと入っていく。
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水路沿いは緑地として整備され、訪れた際にはキショウブが咲き、周辺住
民の方々の目をひいていた。
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その先には親水ゾーンと称された場所があり、用水の水面近くまで下りる
ことができる。
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六木地区を南下していく葛西用水。
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桁川から700メートルほど行くと、葛西用水は再び水路と交差する。
花畑運河(花畑川とも称される)であり、葛西用水は伏越で花畑運河を越える。
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花畑運河は昭和6年(1931)、綾瀬川と中川を結ぶ運河として開削された。
荒川放水路(大正13年完成)により中川が分断され、北関東と東京を結ぶ
舟運(農作物や肥料を運搬)に支障をきたしたため、開削された運河である。
水運事業は衰退し、現在では無駄に広い水路と化してしまった感があるが、
川沿いの看板によれば、将来は水辺環境事業により、市民の憩いの場と
して整備されるようである。
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花畑運河を渡ると「あれ、水が流れていない?}。
ご安心を、これは暗渠の上に造られた親水施設、夏になれば子供たちが
水遊びに興ずるのだろうか。
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その先、再び葛西用水は顔を見せる。
写真左側に並行する道路は、その名も葛西用水桜通り、用水に沿って真
っすぐに延びる道路である。
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葛西用水沿いには足立区立郷土博物館が建っている。
足立区の歴史や生活・文化を展示しており、用水に関わる展示や資料な
どもそろっているので時間があれば訪問をお勧めしたい。
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こちらは博物館裏に併設されている東渕江庭園、回遊式日本庭園で散策
の休憩がてら立ち寄るのもいい。(庭園は入園無料)
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用水沿いの各所に、写真に見られるような鉄道建設促進の幟などが立て
られている。
地下鉄8号線(有楽町線)の早期延伸を要望する運動で、豊洲から分岐し
て亀有へと延伸する路線が計画されており、その先、葛西用水沿いに八
潮市、野田市方面への延伸も検討されているようだ。
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用水の東側に真言宗の阿遮山福寿院がある。
創建は不明、参道入口にある地蔵は「旧中川のいぼとり地蔵」と言われ、
塩を供えた後、その塩を患部に塗ることにより、皮膚病に効果があるとの
言い伝えがある。
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やがて環状七号線へと近づき、用水はいったん暗渠となる。
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環七の大谷田橋交差点の北にそびえたつ銀河の塔
説明板によると、葛西用水親水水路の完成を記念して作られたシンボル
タワーとのことだ。
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交差点の先、亀戸方面へ向けて緑地帯が続き、その中を葛西用水が流れる。
亀戸駅まで1kmほどとなり、駅周辺への人々の往来も多くなる。
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用水沿いにある東和親水公園
用水とは関係はないと思われるが、噴水やじゃぶじゃぶ池などもあって楽
しそうな公園だ。
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親水公園から数十メートルほどいくと、八ヶ村落堀と交差する。
八ヶ村落堀は六木から大谷田、東和を通り綾瀬で古隅田川に落ちる悪水
掘(排水用水路)、現在は環七以南で八ヶ村落し親水緑道として整備され
ている。
交差点付近に碇伏越橋と記された親柱が保存されていたので、2つの水
路は伏越で交差していたことが判る。
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そこから200メートルほど行ったところで、葛西用水は暗渠となってしまう。
この先、曳舟川親水公園などに水路があるが、人工水路であるため、葛西
用水の水路として目にすることができるのはここが最後である。
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遊歩道沿いにある大きな水車のオブジェ。
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さきほどの八ヶ村落堀に続いて、今度は古隅田川と交差する。
近くには古隅田川についての説明板があり、以下のように記載されている。
古隅田川はかつて利根川の流末の一つで、豊かな水量をもつ大河であり
ましたが、中川の灌漑事業等により水量を失い、やせていったものと考え
られています。
近代に至っては、雑排水路として利用されてきました。

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現在、古隅田川跡は足立区と葛飾区の境界となっており、ここから葛飾区
となる。

暗渠となった葛西用水の上は広い歩道となり、南へと続いている、
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歩道脇にあった両さん像、漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の両津
勘吉像は、亀有駅前にある像が有名だが、小さな像も周辺にいくつか建て
られているようだ。
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そして常磐線のガードが見えてくる。
亀有駅の東側で葛西用水は常磐線と交差していた。
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葛西用水 3

さらに歩いていくと外環道が行く手に現れる。
この外環道沿いには綾瀬川と中川を結ぶ綾瀬川放水路が造られており、
葛西用水は放水路を伏越で交差している。
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こちらは交差手前に設置されている除塵機、かなり大きなものだ。
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外環道の南で、伏越から再び地上に現れる。
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伏越から数十メートルほど歩くと、キタミソウ自生地の説明板があった。
植物には疎いが、説明板によるとキタミソウは絶滅危惧種に指定されて
いる植物で、10月に芽を出し、11月~4月の間に2度小さな花をつけ、
その後、種子の状態で水底で夏季を越すという。
残念ながら5月下旬だったため、その姿を目にすることはできなかった。
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草加市青柳の地を南下していく葛西用水。
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青柳堰に設けられた水門、いにしえ風に造られたものであり、上部には水
門を上下させるモーターらしきものが置かれていた。
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こちらは右岸に設けられた小さな水門。
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その先、桜並木が1.3kmほど続く。
春には壮観な風景となるのであろう。
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用水の両岸の遊歩道が続き、親水施設も設けられている。
かつての農業用水は、現在では市民の憩いの場として変化を遂げている。
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用水は草加市から八潮市へと入っていく。
伊草天神橋の西にある伊草天神社、創建年代は不明、旧伊草村の鎮守
社であったようだ。
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用水には再び葦が生い茂るようになる。
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左岸にひっそりと立つ地蔵尊。
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その先、左岸には松之木どんぐり遊歩道という遊歩道が続く。
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県道54号線が架かる馬場新橋の先、右岸に真言宗豊山派の正保山観
音寺
が建つ。
天文3年(1534)不動坊として開基、その後、坊跡を元和7年(1621)、長
清律師が開山したという。
本堂前にあるイチョウは樹齢400年と伝えられ、八潮市の天然記念物に
指定されている。
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葛西用水にはますます葦が茂り、水面さえ望むことができなくなってしまう。
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葦の間に現れた古い水門。
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首都高速6号三郷線が目の前に迫ってきた。
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三郷線を越すと、左岸から八條用水が合流してくる。
八條用水は葛西用水と同じく瓦曽根溜井から流れ、葛西用水の東側を流
れてくる用水路。
最初に記したように、農業用水としては葛西用水より古い。
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その先でつくばエクスプレスと交差する。
左へと行くと同線の八潮駅が近い。
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葛西用水 2

さて、葛西用水に沿って歩き始めることにしよう。

東武スカイツリーラインの越谷駅から500メートルほど東へ歩くと、葛西
用水と元荒川に架かる新平和橋がある。
今回はここを出発地点とする。

新平和橋付近では、葛西用水は川幅が広くなり、貯水池のようになっている。
ここが瓦曽根溜井であり、ここに水を貯えて用水へと水を流している。
瓦曽根溜井から流れ出る用水は、葛西用水のほかに、四ヶ村用水、谷古
田用水および八條用水が分水している。
写真左の土手の向こうには元荒川が流れており、東へ流れる中川へと通
じている。
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こちらが葛西用水圦、葛西用水へと流れる水はこの水門から取水されている。
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瓦曽根溜井沿いを渡った場所にある谷古田取水口公園に、瓦曽根溜井
防水碑と道標付き庚申塔が保存されている。

瓦曽根溜井防水碑は明治23年(1890)の大雨から守ったことを記念して
建てられたもの。
同年8月の大雨は利根川決壊という事態を引き起こし、ここ瓦曽根溜井
でも水量が増し、決壊寸前までいった。
葛西用水下流域の村々から動員し、夜を徹して警戒にあたり、洪水を防いだ。
この碑はその事実を後年に伝えるために明治26年に有志によって建立
されたものである。
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道標付き庚申塔は享保8年(1723)に建立されたもの。
元荒川下流にある大相模(現:越谷市大相模)や吉川(現:吉川市)、元
荒川上流にある時慈恩寺(さいたま市岩槻区内)、さらには遠く市川(千
葉県市川市)への道標となっている。
当時は葛西用水に沿って南下する道があり、日光街道、水戸佐原道を
経由して市川方面と交流があったことが伺い知れる。
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溜井から流れ出る葛西用水、水路幅は10メートル前後はあるだろうか。
前項で説明した葛西井堀という区間であり、現在は東京葛西用水という
名がつけられているようだ。
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葛西用水の右側には谷古田用水が流れる。
こちらは綾瀬川の東、谷古田領を灌漑するために開削された用水、武蔵
野線を越えて蒲生東町まで2kmほど並行する。
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葛西用水と谷古田用水の間には谷古田河畔緑道という遊歩道が設けられ
ており、気軽に歩くことができる。
この河畔緑道を含めて、葛西用水沿いには一部区間を除いて遊歩道が続
いている。
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流通団地内を流れていく葛西用水、よく見ると、水の流れは殆どない。
国土地理院のWeb地図で調べてみると、瓦曽根溜井付近でも標高値は
5mほどしかない。
歩きながら清流の流れを楽しむことができる玉川上水などとは異なる。
溜井を利用する方法が採られたことも、このようなことが要因しているの
かもしれない。
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その先、葛西用水右岸は野鳥保護地域となり遊歩道は谷古田用水沿い
の細い通路となる。
こちらの写真は保護地域内に設けられた野鳥観察施設。
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やがて葛西用水はJR武蔵野線と交差する。
線路と南側に進むには近くの道路を迂回し、アンダーパスを通る必要がある。
南側から武蔵野線との交差箇所を撮影。
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武蔵野線を越えた先の葛西用水の風景、水路内には葦が生い茂っている。
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その右側、谷古田用水側には親水公園がある
公園内に流れる水は用水とは別物、さすがに用水の水を子供たちに触れ
させるわけにはいかない。
谷古田用水は暗渠となって公園の下をながれているようだ。
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その親水公園の先で、長く寄り添って流れていた谷古田用水は右へ分か
れていく。
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谷古田用水が分かれたことで、谷古田河畔緑道は終わってしまうが、葛西
用水沿いの遊歩道が続いている。
葛西用水には相変わらず、葦が続いている。
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遊歩道脇に建てられている散策案内板、葛西用水沿いの越谷市、草加市、
八潮市の三自治体が共同して建てたもののようだ。
周辺の史跡(用水からかなり離れたものもあるが)案内が充実している。
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瓦曽根溜井から殆ど直線的に流れてきた葛西用水だが、ここでようやく左
へとカーブする。
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用水の親水施設も所々に設置されている。
ただ、用水を流れる水は、お世辞にも清らかとは言い難い。
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用水の中にコンクリート製の構造物を見つけた。
橋脚もしくは堰の跡なのだろうか。
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左岸に続く石垣の護岸壁、不揃いの石が気であるが、かなり古くからある
ものかもしれない。
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その先、今度は右岸にツバキと芝生の護岸が現れる。
この辺り、いろいろな護岸が見られ、それを見ながら歩くのも楽しい。
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その付近の西側で、古綾瀬川が接近する。
一番狭いところで、葛西用水と古綾瀬川との間の距離は十数メートルほど
である。
それでも2つの水路は合流せず、古綾瀬川は蛇行しながら去っていく。
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右岸に現れた水門。
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その先、葛西用水右岸に青柳久伊豆神社が鎮座している。
由緒は不明、村の鎮守といった風情のある小ぢんまりとした神社である。
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さらにはその南に新義真言宗豊山派の青柳山三覚院がある。
慶長十年(1605)頃の創建とされ、俊賢法印が開山した。
現在の本堂は文化8年(1811)建立と伝わり、本堂内の板絵は埼玉県有
形文化財の指定を受けているとされる。
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久伊豆橋脇に建てられていた道標、
いつ頃のものかは判らないが、「粁」の字が記されているので、そんなに古
いものではないのかもしれない。
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《参考資料》
『ブックレット 足立風土記⑩』 足立区教育委員会



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葛西用水 1

羽生市の本川俣で利根川から取水して(現在は行田市の利根大堰からの
埼玉用水路から分水)、埼玉県を経て足立区や葛飾区へと流れる葛西用水
その西を流れる見沼代用水や愛知県の明治用水とともに日本三大用水と
され、70km以上の延長を持つ。

いつものようにまずは歴史的経緯から紐解いていくことにするが、その経緯
は複雑である。
これまで取り上げてきた玉川上水や六郷用水、二ヶ領用水のように、開削
して多摩川の水を取り入れたといった単純なものではなく、葛西用水は水
源を求めてさらに上流へ延びていったという経緯がある。
その過程はなかなか理解しにくいが、いくつかの資料に基づき、簡単にま
とめてみた。

まずは、下の概略図を見て頂きたい。
地図を掲載しようとも考えたが、下流部に比べて上流部(幸手用水や大落
古利根川)の距離が長いので概略図にとどめることとした。下手な絵で恐
縮である。
葛西用水

① 葛西井堀
中世後期、亀有付近には亀有溜井という溜池があった。
古利根川(現:中川)の一部を堰き止め、そこから葛西領(葛飾区、江戸
川区と墨田区、江東区の一部)へと用水をひいていた。
溜井の上流では、古綾瀬川(現:桁川)が合流し、亀有溜井を潤していた。

だが、慶長年間に備前堤が造られて綾瀬川の水が元荒川へと導水され、
また綾瀬川流域の新田開発が進んだことにより、綾瀬川の水量は急激
に減少し、亀有溜井の水は不足することになる。

そこで、元荒川に設けられていた瓦曽根溜井から用水が開削されること
となった。
瓦曽根溜井からは八條用水などが開削され、八條領(現:八潮市など)の
農地を潤していた。
また、排水用として慶長18年(1613)に八條領悪水落井堀が開削されて
いたが、元和7年(1621)、この悪水路を延長して瓦曽根溜井から取水す
るように施工し、更には水路幅を拡幅して古綾瀬川への水路を設けた。
瓦曽根溜井から古綾瀬川までの区間は葛西井堀と呼ばれることになった。

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             瓦曽根溜井

② 中島用水
寛永6年(1629)、荒川の瀬替が行われると、今度は元荒川の水量が不
足することとなった。
そこで、寛永18年(1641)、中島用水が開削され、中島村(現:幸手市)で
江戸川から取水し、途中、庄内古川を経由して供給されることとなる。
中島用水は大落古利根川へ流され、また同時期に開削された鷺後用水
(逆川)により、松伏溜井から元荒川へと導水されることになる。

③ 幸手用水
半世紀余り、中島用水を経由して水が供給され続けていたが、宝永元年
(1704)、利根川に大洪水が発生し、庄内古川に流れ込む権現堂川が
埋没するなど、大きな被害を被ることになる。
この洪水により中島用水による水供給は破綻してしまう。

幸手用水はもともと、万治元年(1660)に開拓された農業用水で、本川
俣(現:羽生市)の元圦で利根川幸手領の村々の農地を潤していた。
中島用水の破綻により困窮していた村々は幸手用水からの取水を求め
る願書を度々提出した。
その結果、享保3年(1718)本川俣の上流の上川俣に新圦を設置し、
水路を拡幅して、その翌年、利根川から幸手用水や大落古利根川を経
由して取水することが実現した。

こうして葛西用水の水系が確立したのである。
なお、昭和43年(1968)利根大堰の完成に伴い、元圦・新圦は廃止さ
れ、利根大堰から埼玉用水路を通じて給水されることとなった。

④ 本所上水
万治元年(1659)、江戸の本所地区の飲料水用として本所上水が開
削された。
これは明暦の大火(1657)の後、本所が町屋地として定められたが、
本所は低湿地のため、井戸水は塩分を含み飲用水として適さなかっ
たためである。
本所上水は亀有上水・小梅古上水などとも呼ばれている。

当初は亀有溜井から導水されていたが、延宝3年(1675)亀有溜井
の廃止に伴い、瓦曽根溜井からの導水に切り替えられたという。
葛西用水の東側に沿って上水路が設けられ、古綾瀬川を掛樋で渡
り葛西領を南下していった。

天和元年(1688)、本所上水は停止される。
これは本所・深川地区から武家屋敷や町屋が撤退したことに起因す
るとされ、その撤退理由は水害(火災という説もある)らしい。

元禄元年(1688)に本所上水は再開されるが、周辺の水害や冬場
の水涸れなどもあり、上水としての機能はあまり果たさなかったようだ。
そして享保7年(1722)、本所上水は三田・千川・青山の各上水と共
に廃止される。
これは八代将軍吉宗の側近であった室鳩巣が「大火が増えた原因
は上水にある」という説を唱えたことによる。

本所上水廃止後、葛西領内の本所上水は農業用水路として転換される。
また、上流部の葛西井堀脇の水路は新田として再開発された。

江戸時代後期になると、亀有以南で小舟を綱で引く引舟事業が行
われ、帝釈天詣や水戸街道へ出る旅人に利用されていくことになる。
葛飾区内で称される曳舟川は、この引舟に由来する。

2017-06-03_16.jpg
        葛飾区内に続く曳舟川親水公園


以上が葛西用水にまつわる歴史を記してみた。
これ以外にも、当時行われていた利根川東遷・荒川西遷の大事業も深く
関与している。
より詳細にお知りになりたい向きには、流域の自治体の図書館・資料館
に資料が用意されているので、訪問をお勧めしたい。

本来であれば利根川取水口から歩き始めたいところではあるが、都内
から出向くには遠く、日帰りでは散策時間も制限を受ける。
それに加え、現地のバスなどの交通事情に疎く、不安がある。

そのため、今回は越谷市にある瓦曽根溜井をスタートとして葛西用水
ならびに曳舟川沿いを辿ることとした。
本項では歴史について長々と書いてしまったので、葛西用水の散策
記は次項から記すことにしたい。

2017-05-20_52.jpg

《参考資料》
『八潮市史 通史編Ⅰ』 八潮市史編さん委員会
『葛西用水 -曳舟川をさぐるー』 葛飾区郷土と天文の博物館
『葛西用水 長く使うことのできなかった用水路』 高山治
      (日本地図センター 『地図中心』 2015年6月号収録)
『ブックレット 足立風土記⑩』 足立区教育委員会

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Author:リバーサイド
善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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