九品仏川は、九品仏浄真寺の北、ねこじゃらし公園付近から自由が丘を経由し、
緑が丘に至る2.2kmほどの呑川の支流である。
1kmほどの西の等々力付近を流れる谷沢川の河川争奪の話は、地形や河川
に興味を持つ方々にとっては有名な話である。
現在、谷沢川は等々力渓谷を流れて多摩川に達しているが、かつての谷沢川
はこの九品仏川につながっていたという。
それがいつの頃からか、現在のように南へ向きを変え、多摩川へと流れ出すよ
うになった。
その流路変更については、自然説と人為説の2つの説があるが、いずれも決定
的な証拠はないようだ。
ねこじゃらし公園の付近には。かつて水田や湿地があり、大正期以前の地形図
を見ると、現在の大井町線の等々力駅付近へと田園地帯が広がっていたようだ。
昭和初期には周囲の宅地化が始まり、水田湿地に埋め立てのために公園付近
に池が掘られたという。
しかし、昭和30年代、渋谷の東急文化会館(現ヒカリエ)の建設残土のために
その池も埋め立てられてしまった。
現在も北の目黒通り付近や、南の尾山台付近から、ここに通じる暗渠を確認す
ることができる。
ねこじゃらし公園は周辺住民の憩いの場となっており、人工水路も設けられ、
子供たちの水遊び場として親しまれている。

公園の南側には12万㎡という広大な敷地を持つ
九品山唯在念仏院浄真寺がある。
一般的には九品仏の名で親しまれている浄土宗の寺院である。
延宝6年(1678)、珂碩上人の開山で、四代将軍家綱よりこの地を賜った。

こちらは江戸名所図会『奥沢村 浄真寺 九品仏』に描かれたもの、現在と配置
はほとんど変わらないという。
(国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)本堂の向かい側には、上品堂(中央)、中品堂(右)、下品堂(左)という3棟
の堂宇があり、それぞれ「上品上生、上品中生、上品下生」「中品上生、中品中生、
中品下生」「下品上生、下品中生、下品下生」という三体(計九体)の阿弥陀如来
像が安置されている。

これは、極楽往生の9つの階層を表し、念死念仏の心境に至る道程を示したも
のだそうである。
下の写真は上品堂の上品上生、上品中生の阿弥陀像。

またこの地は浄真寺以前は
奥沢城という城があった。
吉良氏の世田谷城(
烏山川の項参照)の出城として築かれ、家臣の大平氏の
居城であった。
吉良氏は北条氏の配下であったため、秀吉の小田原攻略の後、この奥沢城も
廃城となったという。
寺の周囲には、奥沢城の土塁が今も残る。

なお、奥沢城には鷺草伝説という話が残るので紹介しておこう。
奥沢城主・大平出羽守の娘、常盤姫は世田谷城主・吉良頼康の側室として寵愛
を受けていた。
嫉妬した他の側妾たちの計略で、常盤姫は無実の罪を擦り付けられた。
常盤姫は死を決意し、白鷺の足に遺書を結びつけ、奥沢城へと放った。
白鷺はは奥沢城の近くで狩をしていた頼康に射落とされるが、遺書を見た頼康
は常盤姫の無実を知る。
その時、白鷺の血のあとから一本の草が生え、白い花をつけた。
これが鷺草と呼ばれる由縁とのことである。
九品仏の説明が長くなった。
それでは、九品仏川を下っていくことにしよう。
公園を出ると
九品仏川緑道が東へと続く。
九品仏川の川筋の殆どは緑道となっており、九品仏~自由が丘~緑が丘を結
んでいる。
そのため、自由が丘に行き来する人が多く往来しているのも特徴である。

数年前までは緑道は土の路面であったが、改修工事が行われ、歩きやすい舗
装が施された。

自由が丘の手前で、九品仏川は東急大井町線と交わる。

その先、自由が丘南側の商業地を進んでいく。
緑道にはベンチが設けられ、木陰で読書や休息している人も多い。
暗渠が商業地の中心を通る例として、渋谷川のキャットストリートが有名だが、
こちらも川沿いにお洒落な店が建ち並び、賑わいを見せている。

「自由が丘」という地名から丘を想像するが、実態は九品仏川が造る谷である。
これは、駅の北の丘の上に造られた自由ヶ丘学園に由来するものだからだ。
商店街の東端、自由通り(都道426号線)を南へと坂を上っていくと、通り沿い
に
奥沢神社が鎮座する。
奥沢神社は、大平氏が奥沢城を築くにあたり守護神として勧請したと伝えられる。

江戸中期から「大蛇お練り行事」という祭事が伝わり、世田谷区の無形民俗文
化財に指定されている。
これは疫病が流行った際、村の名主の夢枕に八幡大神が現われ、「藁で作っ
た大蛇を村人が担ぎ村内を巡行させると良い」とのお告げがあり、早速実行し
たところ、疫病が治ったという言い伝えによるものである。
再び九品仏川緑道に戻り、東進していく。
自由が丘付近から先、九品仏川は目黒区と世田谷区の境界となっている。

踏切を渡り、大井町線の北側に出る。
緑道には桜並木が続いており、日差しが強くても木陰を歩くことができるので
助かる。

緑ヶ丘駅の手前で、三たび大井町線とクロスする。

そこから150mほど行くと、今度は東急目黒線と交差する。(近くの踏切へ迂回
が必要)
その先で九品仏川は左へとカーブし、100mほどで呑川につながっている。
そこはちょうど、呑川が暗渠から開渠へと変わる場所、但し合流地点は僅かに
暗渠の部分であるため、その合流を直接、目にすることはできない。