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下の川・田中堀

下の川は立川段丘下に湧き出る湧水などを水源とし、昭島市拝島町および
田中町を流れ、昭和用水本流に合流する河川である。
下の川は途中で車堀を分け、下流は田中堀と称される水路となる。
今回は下の川から田中堀までを通して紹介することとしよう。

古くは下河原用水とも呼ばれ、多摩川からの水を取り入れ、九ヶ村用水(現
昭和用水)の北を並行して、啓明学園内を流れていたという。

下の川は段丘下の住宅の前にある水路跡から始まる。
道路を挟んで西側は啓明学園の敷地となっておりその上流を確認すること
はできない。
航空写真で見る限り、そこは学園のグラウンドとなっており、水路跡が残
存している可能性は低いかもしれない。
2018-06-09_7.jpg

始まりは水の無い水路であるが、数十メートルほど行くと拝島給水所から
下の川へと水が流れ込んでいる。
これは給水所の南側を通る昭和用水から下の川に回されている水である。
特に農閑期には給水所から先の用水本流には水は流れず、多摩川から
取水された水は下の川へと流されるようである。
これはこの先にある湧水付近の親水環境の維持のためであろう。
2018-06-09_10.jpg

さらに歩いていくと崖線下に整備された水路が広がり、鯉が気持ちよさそ
うに泳ぐ光景を目にすることができる。
所々、崖線からの湧水を確認することもできる。
2018-06-09_17.jpg

その親水エリアの中心にあるのが、東京の名湧水57選にも指定されて
いる龍津寺下の湧水、木製のデッキの上にベンチなども設けられ、市民
の憩いの場ともなっている。
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なお崖上にある龍津寺は天文年間創建と伝えられる曹洞宗の寺院。
拝島分水参照)

この辺りは素晴らしく綺麗に整備された水環境であり、しばらく佇んでいた
いと感じさせる。
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下の川の南側にはもう1本水路が流れている。
車堀と称される通路であり、拝島高校の南で昭和用水本流に合流する。
車堀の名前は製糸用水車があったことに由来するらしい。
下の川からの分水地点もあるがそこには水流を確認することはできず、
現在は給水所から下の川に並行して流れる水路から水を通しているようである。
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一部暗渠の区間もあるが、下の川は道路沿いに東進していく。
この先、水路は2本に分かれるが(便宜上、北側水路・南側水路と称する)、
南側水路は住宅の間に入ってしまう。
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道沿いに流れる北側水路を追っていくことにしよう。
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水路脇に生えていた大木、かなり昔から下の川の様子を見守っていたので
あろうか。
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しばらく進むと短い区間ではあるが暗渠となる。
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水路は暗渠となってクランク状に進み、再び顔を見せると住宅の間の中へ
と入ってしまう。
そこは草が生い茂り水面さえも見づらい。
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迂回していくと北側水路は多摩辺中学校の北を流れていく。
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一方、先ほど分かれた南側水路は中学校の南を東へと進む。
この中学校は南北を下の川に挟まれているというわけだ。
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国道16号線を渡ると、その先はホームセンターの北を流れていく。
写真に見える水路は北側水路、南側水路はというと右側の道路の下を暗
渠となって流れている。
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上の写真の住宅脇で南側水路の水の一部が北側水路へと流れ込んでいる。
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一旦、北側水路と南側水路はわかれるが、南側水路は周辺の田圃を潤
した後、田中町住宅の西側で2つの水路は最終的に合流する。
現在の町名である田中町でわかる通り、この付近は旧田中村の地域内
であり、下の川もここでは田中堀と呼ばれていたという。
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更にはその先、西からもう一本の水路が合流する。
これは玉川上水の拝島分水、拝島駅北側で玉川上水から分水し、奥多摩
街道沿いに流れてきた用水である。
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その後、水路は崖下を流れていく。
拝島分水を合流して水量が増えたためというわけでもないだろうが、
川幅が広くなり、コンクリート護岸の河川が木々が生い茂る中を流れていく
という形となり、これまでとは雰囲気がかなり異とする。
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拝島分水合流地点から600メートルほど行くと、昭和用水に合流する。
昭和用水が道路を横断して流れ込むため、見た目には下の川の方が本流
のように感じられる。
この先も昭和用水は崖の下を東へと流れていく。
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《参考資料》
『あきしまの歴史散歩』 昭島市教育委員会



目次
 


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中沢堀

中沢堀は昭島市宮沢の諏訪神社境内に湧く湧水などを水源とし、昭和用
水本流につながる清流の小河川である。

こちらが水源となる諏訪神社の湧東京の名湧水57選に指定されている。
それなりの水量で噴出しており、一年を通して枯れることはないという。
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この周りの地名である宮沢は、古来より「宮社の沼澤」と呼ばれていたこと
に由来する。

境内に湧水をもつ宮沢諏訪神社、創建年代は不明だが当地に古くから
居住していた小野氏の氏神として創建されたと伝わる。
小野氏の氏祖と関係が深い諏訪大社を勧請したようだ。
2018-05-26_12.jpg

諏訪神社と道路を挟んで西側には宮澤山阿弥陀寺が建つ。
こちらも創建年代は不詳だがが、健治3年(1277)、嘉暦4年(1329)の
板碑があることから、鎌倉期の創建と推定されている。
2018-05-26_1.jpg

阿弥陀寺の本堂裏には池がある。
残念ながら近づくことはできないが(本堂脇の道から撮影)、おそらくこち
らも湧水の水を湛えているものと思われる、
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諏訪神社を出た水路には清らかな水を流れ、東へと進んでいる。
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中沢堀の北、崖の上には中神熊野神社が鎮座する。
延文5年(1360)、熊野本宮を分霊、奉祀したのが始まりとされ、旧中神村
の鎮守であった。
現在の社殿は嘉永5年(1852)、当地の豪商中野久次郎が再建したもの
とされている。
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中沢堀は奥多摩街道を横断し、その南側を流れるようになる。
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奥多摩街道と中沢堀の間には福厳寺(後述)の境外仏堂である恵日庵が建つ。
創建や由来は不明であるが、現在の堂宇は文化2年(1805)の建立だという。、
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堂内には阿弥陀如来像が安置されており、老僧の隠居所として使われて
いたという。
明治後期から大正時代にかけては中神村および中神村外七か村組合の
役場として使用されていたようだ。

恵日庵の東側で、北からもう一つの流れ(写真右側)が合流する。
2018-05-26_36.jpg

そちらは諏訪神社の東側の段丘崖からの湧水を水源とする。
その水源付近にはなんと、湧水を利用したワサビ田があるというが、残念
ながら個人農家の敷地内にあるため、目にすることはできない。

こちらは先ほど紹介した熊野神社の南側を流れるワサビ田からの流れ。
2018-05-26_26.jpg

中沢堀の北、奥多摩街道の中神坂交差点付近に福厳寺と中神日枝神社
が建つ。

智勝山福厳寺は寛永元年(1624)に創建された臨済宗の寺院。
段丘上に立地し、『新編武蔵風土記稿』によれば創建以前の戦国時代末期
には立川氏が館を構えていたいう。
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交差点の南、小さな祠の中神日枝神社が鎮座する。
前述の熊野神社創建以前には、日枝神社が中神村の鎮守だったという
言い伝えがある。
狭い境内の中には享保13年(1728)の庚申塔もある。
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その南を東進していく中沢堀。
ここから先は川に沿って歩く区間は殆どなく、所々に架かる橋の上から
清流を眺めるという形となる。
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中沢堀北側の道路を歩いていると、住宅街の中の突然、古い蔵が出現する。
西川製糸創始者の西川伊左衛門により建てられた西川家旧別邸蔵
大正後期の建築とされ、「初期の本格的な鉄筋コンクリート造建築」の
希少例として平成28年に国の登録有形文化財に指定された。
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なお、隣接していた別邸は江戸東京たてもの園へ移築されている。

中神町を流れていく中沢堀、写真奥に見える高架橋は多摩川大橋通り。
この辺りには僅かであるが水田も見られる。
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昭島市福島町(旧福島村)に入り、住宅街の中を蛇行しながら流れていく。
途中、昭和用水の分流と思われる水路も合流する。
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中沢堀の北にある臨済宗の金峰山広福寺、開創年代は不明だが建武4年
(1337)や貞治5年(1366)銘の古碑が現存することから、室町時代初期
の創建と思われる古寺である。
一時荒廃したが、慶長年間(1596~1615)徳川家の旗本で福島村領主、
内藤源左衛門正久によって再興した。
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さらには中沢堀を挟んで南側には向宿の子持ち地蔵という地蔵尊が建て
られている。
子供の夜泣き、夜尿症、病気などに霊験があるとされ、地域住民に大切
にされていたようだ。
台座には宝暦12年(1762)の銘がある。
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住宅の間を流れていく中沢堀。
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流れる水は相変わらず清らかであり、川沿いに歩くことができないのが残
念である。
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川の右岸と十数メートルほどの間隔で並行する遊歩道、こちらも水路跡で
あろうか。
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遊歩道の先で相沢堀を上流方向に眺める。
2018-05-26_75.jpg

最後は一般道の下を数十メートルほど暗渠となって進み、昭和用水本流
へと合流する。
2018-05-26_78.jpg

《参考資料》
『あきしまの歴史散歩』 昭島市教育委員会



目次
 

昭和用水 2

昭和用水は多摩大橋の北詰を流れていく。
2018-05-01_80.jpg

その先で用水は多摩川沿いに出る。
写真右の道路は多摩川の土手、個人宅から道路に出る小さな橋がいくつ
か架けられている。
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用水の水門、余水を多摩川に戻すために造られたもののようだ。
2018-05-01_84.jpg

水門を過ぎると、昭和用水は再び多摩川から離れ、昭島市福島町の住宅
や農地の間を抜けていく。
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新奥多摩街道を横断した先の用水。
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左岸から中沢堀が合流する。
中沢堀は東京の湧水57選に指定されている宮沢諏訪神社の湧水などを
水源とする河川であり、清流が流れ込む。
ここからしばらくの間、道沿いに石垣護岸が続く気持ちよい区間となる。
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用水には鯉も放たれ、農業用水とは思えない快適な水環境が保たれている。
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しばらくすると水門が出現、ここで左側に水を分ける。
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こちらは分水路の様子。
2018-05-20_15.jpg

分水路は立川崖線下の農地に水を供給し、用水本流と同じく残堀川へと
水を落とす。
残堀川への合流地点は昭和用水本流が合流する地点より上流側、残堀川
の落差工(大滝)の辺りである。
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その先、右岸から数十メートル入ったところに大六天神社という小さな祠がある。
享保2年(1717)の史料にも出てくるため、それ以前から鎮座している
古社であるらしい。
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立川バスの折り返し所の裏を通る昭和用水。
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その先、昭和用水は新奥多摩街道沿いを流れていく。
写真で分かる通り、2本の水路が並行して流れているが、右側は昭和用
水本流、そして左側の水路は先ほど分水した分流から更に枝分かれした
水路が本流へと戻ってきたものである。
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新奥多摩街道沿いを数十メートルほど流れた後、再び街道と分かれ、富士
見町住宅と称する団地の中を流れていく。
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団地内では用水沿いを歩くことはできず、ジグザグに歩きながら用水を辿っ
ていくこととなる。
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富士見町団地の先も、用水は住宅の間を抜けて行ってしまう。
仕方なく用水に並行する道路を歩き、途中の小公園でその流れを確認する
程度だ。
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そして昭和用水はその水を残堀川へと落とす。
残堀川は中流域で水が地中に浸み込み、普段は水が流れない川となってしまう。
そのため、ここ下流域を流れる水は昭和用水から流れ出た水ということになる。
2018-05-20_41.jpg

河川敷は雑草に覆われ、合流の様子を撮影することは難しかった。
数年前の冬季に残堀川を歩いた際、除草された同地点を撮影した写真が
あったので、掲載しておく。
2015-01-17_78a.jpg

《参考資料》
『あきしまの歴史散歩』 昭島市教育委員会



目次
 

昭和用水 1

昭島市拝島町付近で多摩川から取水し、昭島市南部および立川市南西部を
通り、残堀川へ水を落とす昭和用水を追った。
下の川、中沢堀といった立川崖線下の湧水からの水路が合流する。
現在、昭島市南部は殆ど住宅地となっているが、今なお残る田畑に水を供給
する現役の用水路である。
一部区間を除き年間を通して通水されているが、農繁期と農閑期では多摩川
からの取水量が異なる。

昭和用水は古くは九ヶ村用水と称し、室町期に開削されたという。
九ヶ村とは拝島、田中、大神、宮沢、中沢、築地、福島、郷地(現昭島市内)
の各村、および立川市内の柴崎村をいう。

用水の取入れ口は拝島町5丁目先の昭和用水堰
昭和用水堰は昭和8年(1933)に上流の取水口からこの地に移設されたもの。
当初は蛇篭を使用した堰であったが、昭和30年(1955)にコンクリート堰
となった。
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昭和用水堰から250mほど上流側に行ったところに、九ヶ村用水取水堰跡
がある。
現在は河川敷の草叢の中に明治44年(1911)に造られた樋管の遺跡があり、
「九箇村用水樋管」の文字を確認することができる。
なお江戸時代末期以前には、取水口は更に上流の福生市内にあったとのこと。
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取水堰跡から自転車道を挟んで反対側には用水跡も見ることができる。
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さて、昭和用水堰から取り入れられた水は、多摩川土手を潜り用水路として
スタートする。
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昭和用水は啓明学園の南側を通っていく。
用水沿いには木々が生い茂り、緑あふれる風景が展開する。
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その区間を抜けると水門が出現する。
左手の建物は東京都水道局の拝島原水補給ポンプ所である。
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農繁期はこの先も水が流れているが、農閑期は空堀となってしまう。
写真はポンプ所脇の5月初旬(上)と6月初旬(下)の様子。
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用水を流れてきた水はどこへ行ってしまうのだろうか。
一部はポンプ所内を通って北側に流れる下の川に回され、また一部(非灌
漑期のみ)は地下導水管を通って玉川上水の拝島付近へ供給されている
のである。
なお、ポンプ場の反対側に流れる下の川には、東京の名湧水57選にも選
定されている龍津寺下の湧水があるので、立ち寄ることをお勧めしたい。

ポンプ所を過ぎると水田が点在する。
昭和用水沿いの田圃は宅地化されたり休耕田になってしまったりした所
が多く、多摩川下流の府中用水などと比べると水田は少なくなっているようだ。
2018-06-09_4.jpg


ポンプ所から500mほど歩くと、先ほどの下の川から分かれた水路(車堀
が合流する。
分水路からの水は農閑期でも流れており、ここからは通年の通水が復活する。
2018-05-01_33.jpg

水路は道路の反対側へと移り、多摩川の北を流れていく。
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拝島橋の北で国道16号線と交差すると、昭和用水は昭島田中町住宅の
敷地内を進んでいく。
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その先で下の川と合流する。
写真は下流から撮影したもの、道路下を潜ってきた左側の流れが昭和用
水本流、右側が下の川である。
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短い区間ではあるが新しい住宅地沿いに遊歩道が設置されている。
初夏にはこの辺りでホタルの鑑賞会も開催されているようである。
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昭和用水は立川崖線の下を流れていく。
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八高線と交差した先、多摩川の土手へ足を運んでみる。
そこには八高線列車衝突事故の碑がある。
終戦からわずか9日の昭和20年8月24日、多摩川橋梁で八高線の上下
列車が正面衝突、105名の方々が多摩川の濁流に流され命を落としたという。
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昭島市宮沢地区を流れていく昭和用水。
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水門が出現し、小さな水路が分かれていく。
2018-05-01_69.jpg

新奥多摩街道の南、辺りは荒地となっている。
かつてはこの辺りも水田が広がっていたのであろう。
何年か先には開発されてまた違った風景となっているかもしれない。
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昭和用水は蛇行しながら、やがて多摩大橋付近へと達する。
2018-05-01_78.jpg

《参考資料》
『あきしまの歴史散歩』 昭島市教育委員会



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根川

立川市南部、多摩川に並行して流れる根川を紹介しよう。

元々、根川は立川段丘の湧水を集めて多摩川に注ぐ小河川であったという。
明治41年(1908)、それまで玉川上水の助水として利用されていた残堀川
を改修、玉川上水を越えて根川(現在の残堀川大滝付近)に接続する改修工
事が施された。
しかしながら残堀川からの水が度々、氾濫を起こすようになったため、下流部
において昭和47年(1972)、多摩川への短絡する水路が開削され、根川の
一部は埋め立てられることとなった。
昭和48~49年、根川緑道として整備、人工水路として小川が再現されている。

こちらが根川の湧出口、整備当初は井戸水と下水道砂濾過水を混合して1日
250立方メートルの水を流していたが、平成4年から8年にかけて立川市錦町
下水処理場より日2700立方メートルの高度処理水を流すようにしたという。
2015-01-17_104.jpg

水路を流れた水は、緑地の中を流れていく。
緑道の説明板によると、荒木田粘土の上に玉石や砂利を敷き、瀬や淵を設け、
岸辺には水草を植栽しており、また草地の土手や蛇籠を使った護岸により、自
然の川岸の復元や、水生生物が棲みやすい環境づくりに配慮しているという。
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緑道沿いには桜の木が植えられ、残堀川沿いとともにこの地域の桜の名所と
して知られる。
2015-01-17_113.jpg

根川緑道は、交差する道路によってAからDの4つのゾーンに分かれている。
(自転車や歩行者は、道路の下の通路により、往来が可能)
下の写真はCゾーンにある池。
2015-01-17_117.jpg

日野橋の東側で、玉川上水から分かれた柴崎分水が合流する。
柴崎分水は元文2年(1737)に開削された玉川上水の分水で、西武立川駅の
近く、松中橋で玉川上水から取水され、昭和記念公園内を抜け、立川市富士見
町や柴崎を通って、当地に至る用水路である。
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柴崎分水を合流後、多摩川の河川敷に広がる立川公園の北側を流れる。
川幅がだいぶ広がっている。
2015-01-17_125.jpg

立川公園の東に貝殻坂橋という吊り橋が架かり、その説明板には下記のよう
に記されている。
甲州街道が多摩川を渡る「渡し」は何度か移動され、それにともなって甲州
街道の道筋も変わったことが知られている。
そのうち慶安年間(1648~1651)から貞享元年(1684)まで使われていた
のが「万願寺の渡し」である。台地の上をたどってきた甲州街道は、国立の
青柳で段丘を下り、多摩川の河原に下りた。この段丘を下る坂を「貝殻坂」
と呼んでいた。(中略)
文政11年(1848)に完成された「新編武蔵風土記稿」の柴崎村の項には
「貝殻坂、青柳村と当村の界にあり、土中をうがてば蛤の殻夥しく出づ。
 土人(ところのもの)の話に古へはこの辺も海なりしと伝ふ。」
と記されている。

2015-01-17_129.jpg

その先、府中用水のために導水された多摩川の水と合流し、根川は青柳段丘
沿いを流れていく。
多摩川の河川敷には草木が生い茂り、川沿いを歩くことはできない。
2015-05-23_9.jpg

仕方なく段丘の上の道路を歩いて行くと、東京都旧跡に指定されている伊藤
単朴
(1680~1758)の墓がある。
私自身は談義には疎いが、「教訓雑長持」「銭湯新話」などの談義本を著した
江戸時代中期の談義作者であるという。
江戸市中から青柳に移り住み、堀江権次郎を養子として、堀江氏の屋敷内で
医を生業とするかたわら、執筆活動に取り組んだとされる。
一般住宅の庭先に、旧跡に指定される墓があるのが興味深い。
2015-01-17_138.jpg

西国立から続くみのわ通りが多摩川河川敷で終わる場所で、根川は多摩川
本流へと向きを変える。
その場所には、府中用水の取水門がある。
府中用水は、根川や多摩川(貝殻坂橋からここまでの間に多摩川本流から
分かれた水路が合流する)を取り込んで、谷保方面の水田を潤す農業用水
であるが、農閑期は水門が閉じられて取水はされない。
2015-01-17_147.jpg

更には、みのわ通りの下を流れる緑川幹線という下水道雨水幹線の吐口も
ある。(普段は水は放出されていない)
緑川は昭和18年(1943)から21年にかけて旧陸軍立川飛行場の排水を処
理するために造られた人工河川であり、昭和29年(1954)に下水道として暗
渠化された。
2015-01-17_139.jpg
この先、根川は多摩川との合流部に向かって流れていくが、写真で判るように、
草薮が生い茂り、合流部まで辿ることは危険かつ困難である。



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Author:リバーサイド
善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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