二ヶ領用水 桜ウォーク 企画しました。

この企画は終了しました。
ご参加ありがとうございました。


いままで、一人で川沿いを歩き、桜をみてきましたが、
今年は二ヶ領用水の桜ウォーク イベントを企画してみました。

行程:登戸駅→二ヶ領用水せせらぎ館→二ヶ領用水宿河原堀
   →久地円筒分水→二ヶ領用水川崎堀→武蔵溝の口駅
   (概ね6km 2~3時間ほどの行程です) 

日時:2016年4月2日 AM10:30
   (小雨決行、悪天候の場合は翌日3日に延期)

参加費:無料

集合場所: 小田急線・JR南武線 登戸駅 
      小田急線改札外
      (当日は「二ヶ領用水 桜ウォーク」と記載した紙を
       持っている予定)

催行人員:最大20名程度

参加方法
  ■ Twitter_IDをお持ちの方
     Twiplaから参加をご表明ください。

  ■ Twitter_IDをお持ちでない方
     この記事のコメントにて参加をご連絡ください。
     1) 記事下部のCommentをクリック
     2) お名前、メールアドレスをご記載ください。
     3) 個人情報が含まれるため、非公開コメントとしてご投稿ください、
     ※ 集合方法、天候不順時等の対応などご連絡のため、メールアド
        レスは必須とさせていただきます。
       ご連絡のため以外にメールアドレス等個人情報は使用しません。

   コメントでのご参加の方は前日22時まで、
    Twitter_IDでのご参加の方は当日朝9時まで受付可能です。

注意事項等
  1) 歩きやすい服装、靴でご参加ください。
  2) 配布資料はありませんが、せせらぎ館で二ヶ領用水に関する
    パンフレット等を入手可能です。
  3) 途中、2箇所程度で休憩をとります。
  4) 歩行中の喫煙・飲酒はご遠慮ください。

イベントの企画は初めてなので、至らぬ点があるかと思いますが、
ご容赦ください。

ご参加をお待ちしています。
   

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《2016年新春企画》 用水へのいざない

新年あけましておめでとうございます。
今年も当ブログをよろしくお願いします。
さて、昨年に引き続き、新春企画として一文を記してみたいと思います。
今年のテーマは『用水へのいざない』、ご一読いただければ幸いです。


以前のブログ(すでに廃止)時代から、河川や水路(開渠、暗渠を問わず)を休日に歩いて8年以上になる。
そのような中で、ここ1~2年、用水に虜になっている。
もちろん以前にも5年ほど前には玉川上水を羽村から四谷大木戸まで完歩したりしている。(その後、再び全区間完歩。)
特に昨年は主に用水を選んで散策するようになり、昨年に記載した記事の7割以上は用水に関するものであろう。

なぜ私が用水に魅せられたか、それは用水そのものに歴史を感じるからだ。
もちろん、自然河川にもいくらかの歴史はある。
しかしながら、用水は先人が苦労を重ねて築造してきたものであり、まさに水路そのものが歴史的遺産なのである。
しかも、玉川上水は現在でも都民の飲用水として利用され、また府中用水などでは田用水として使われるなど、数百年前に開削された用水がいまだに現役として利用されていることに驚嘆せずにはいられない。

現在、開渠、暗渠、水路跡など、用水は多様な姿でみることができる。
特に玉川上水およびその分水では、武蔵野の風景とも相まって、様々な形状で残っている。
遠く羽村取水堰で取り入れられた多摩川の原水が、小平や立川の住宅の間を縫うように流れているのに感動し、また水は流れていなくとも素掘を見つけると、いにしえの風景が目に浮かぶような感覚にとらわれる。
そしてそれらの用水を追うと、開削時における先人たちの技術や努力に驚かせられるのである。

本ブログでは、これまで六郷用水、二ヶ領用水、玉川上水、府中用水及びそれらの支流(分水路・支堀)について取り上げてきたが、それぞれの魅力について述べておきたい。

六郷用水と二ヶ領用水は、小泉次大夫が徳川家康の命を受けて慶長2年(1597)から同16年(1611)までの歳月を要して開削したものである。
二つの用水を合わせて四ヶ領用水とも呼ばれる。
東京側の六郷用水と川崎側の二ヶ領用水を同時並行(実際は領民の賦役を緩和するために、3ヵ月毎に交互に進行させたらしい)して行われたらしい。
この開削が行われた時代は、秀吉が死亡し(1598)、関ケ原において天下分け目の合戦が行われ(1600)、徐々に家康がその権力を増大していった時期である。
そして用水完成4年後の1615年には大阪夏の陣にて豊臣家は滅亡する。
歴史的には徳川VS豊臣という局面に目を向けられがちだが、そのような時期において、家康が着実に用水構築という大工事を通して自領の地盤固めを行っていたというのは驚愕に値する。

六郷用水において、現在開渠として残っているのは多摩川沿いの丸子川の部分のみであるが、その他にも部分的に水路跡が遊歩道として残っている。
また上流部においては国分寺崖線に沿って流れているため、崖線直下の湧水などを訪ねながら歩くこともできる。
大田区南部においては、支堀が放射状に広がっていたのでその痕跡を辿ってみるということも楽しい。
160101_1_六郷
六郷用水

一方、二ヶ領用水は現在においても上河原堰や宿河原堰において多摩川から取水され、川崎市北部を縦断して流れている。
農業用水として(その後、工業用水化)の役目は終えたが、現在は環境水路化され、水路沿いの多くの部分で遊歩道が設置され、また所々には親水設備が設置されている。
また、久地の円筒分水という歴史的文化財も残されているのも嬉しい。
160101_2_二ヶ領
二ヶ領用水

次は玉川上水、羽村取水堰から水を取り込み江戸市民の飲用・生活用水として造られた約43kmに及ぶ用水路。
六郷・二ヶ領の各用水の完成から四十余年後の承応2年(1653)に開削された。
庄右衛門、清右衛門兄弟(完成後に玉川の姓を名乗る事が許される)の指揮のよって施工され、老中松平伊豆守信綱が総奉行として就任した。
工事は承応2年4月に着工し、8ヵ月後(同年は六月が閏月)の11月に完成したといわれている。
43キロほどの区間をこれだけの期間で施工し、なお且つ、玉川上水はところによっては10メートルを超える箇所もある。
私自身はちょっと首を傾げたくなる。というのは、この話は『上水記』に記載されているものであり、その上水記そのものは玉川上水開削後
百四十年ほど経て寛政3年(1791)に書かれたものであり、その信憑性には疑問を投げかけたい。
いくらなんでも、この大事業をわずか8ヵ月で完成したとは信じがたいのである。

玉川上水を歩いてみると、まずその規模に驚かせられる。
100万とも言われる当時の江戸の人口の水需要を考えれば、当然のことかもしれないが、重機などない時代にこれだけ大規模な用水路を造ったものだと感心する。
そして、測量技術の正確さ、分水嶺を巧みに通し、43kmの区間で高低差わずか96mという当時の技術からすれば完璧といった事業であったであろう。
160101_3_玉川
玉川上水上流部(羽村付近)と中流部(小金井公園付近)

玉川上水沿いでは、その区間の多くで木々が植えられており、遊歩道が設置されている。
ところによっては鬱蒼とした林のように感じ、武蔵野の自然が残されている。
数十キロメートルに及ぶグリーンベルトと言っていいだろう。
他の用水に比べて、グループでウォーキングを楽しんでいる方々やウォーキングイベントなどを見かけることも多い。
都内近郊という場所柄、気軽に行ける隠れたレジャースポットとしてもお勧めである。

玉川上水のもう1つの魅力として、分水の存在がある。
もちろん他の用水にも分水路があるが、玉川上水における分水ではそれぞれにその歴史がある点だ。
前述のように玉川上水は江戸市民の飲料用として造られたが、その後、武蔵野の農業用水、飲用水としても分水が開削された。
野火止用水や小川用水など、玉川上水完成直後に分水されたものもあるが、享保7年(1722)、享保の改革の政策の1つとして新田開発奨励の高札が日本橋に掲げられたことにより、武蔵野の新田開発が進められ、分水が許可されたというものも多い。

現在でも玉川上水から分かれた小流が道路沿いや住宅の間を通り抜けている。
また水が流れていない区間においても、水路がそのまま保存され、
素掘のある場所を見つけると、思わず声をあげたくなる。
特に小平市では条例により用水路の保存・環境保全が実施され、一部は緑道として親水整備が行われている。
160101_4_分水
玉川上水分水 -小川用水(上)と野中用水(下)-

また、分水路周辺の寺社を訪れてみると、新田開発に伴って創建されたという由緒を持つものが多い。
開発に伴い入村してきた農民などの信仰のために神社や寺院が造られ、それが今に至っている。
なかには、野中新田における円成院のように、布教(黄檗宗)を目的として新田開発が行われたというケースもみられ、興味深い。

府中用水については、その成立は不詳である。
玉川上水開削時の失敗談になぞらえて、玉川兄弟が当初、府中から取り入れようとしたことをその起源とする説があるが、失敗談
そのものが疑わしい。
ただし、府中用水は六郷用水や玉川上水と同様、十七世紀前半に開削されたであろうと言われている。

府中用水は現在でも農業用水として現役の用水路である。
水路は四方八方へと分かれ、その全てを追うことはとても難しい。
しかしながら、水が音をたてて流れる様を見ていると、とても東京都内とは思えず、ゆったりとした気分にさせてくれる。
なお、さすが現役の農業用水ということもあり、湧水を水源とする矢川、清水川などからの水が流れる区間を除いて、水が流れる時期は5月中旬から9月上旬に限られるので注意が必要。
160101_6_府中用水
府中用水

以上、4つの用水を紹介してみたが、歴史的遺産ということもあり、それぞれの自治体やNPOなどが観光資源として、説明板の設置、観光案内パンフレット等の出版を行ない、力を入れている。
それらを見ながら歩き、その地域(もしくは地元)の地史に触れていくというのも楽しい。
160101_5_説明板
六郷用水(左)と二ヶ領用水(右)の説明板

一般河川に見られるような地形的な面白さには欠けるが、歴史に触れ、水や緑を味わうという体験を是非とも味わって頂きたい。
私自身、これまでいくつかの用水を歩き、ブログで紹介してきたが、まだまだ数多くの用水が存在する。
これからもそれらを追って、紹介していきたいと思う。

各用水の歴史・見どころは、ブログのそれぞれの記事で紹介しています。
記事をみるには、目次から入っていただくと便利です。

目次
   

《2015年新春企画》 川に歴史をみる

あけましておめでとうございます。
このブログを始めてから2度目の新年を迎えました。
本年も「川のプロムナード」をよろしくお願いします。

新春特別企画として、一文を書くこととしました。
(いつまで続くかわかりませんが(笑))
今年は、「川に歴史をみる」と題して綴ってみたいと思います。
駄文ですが、ご一読いただければ幸いです。


以前、書いていたブログでは、ただ川や暗渠を追い、そこにあるものを見ると
いうスタンスで歩いていた。
このブログを始めるにあたり、史跡や神社仏閣を巡りながら歩くことにした。
中には二度目・三度目という河川もあり、史跡巡りをしながら歩いていると、ま
た違った側面を河川から感じることができる。

そこには、古代から現在まで人々の生活が詰まっているといっても過言ではな
いだろう。
当然のことながら、人が生活していく上で水というものは不可欠で、川の近くに
史跡などが集中することになる。
ということで、歴史を追いながら河川を見ていくことにしたい。

古代から中世へ

川沿いの史跡を見ていくと、古くは旧石器・縄文・弥生といった時代まで遡るこ
とができる。
例えば、神田川沿いの塚山遺跡、善福寺川沿いの松ノ木遺跡、石神井川沿い
の下野谷遺跡、黒目川沿いの下里本邑遺跡など、いくつかの遺跡に触れ合う
ことができる。
古代人が川を中心として、生活を営んでいた証拠である。
人々は飲用として水を利用するだけでなく、川に水を求めてやってくる動物を
獲り、また川魚を生活の糧としていたことだろう。
さらに稲作文化が伝来すると、川との共存はますます強くなってくる。
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左上:塚山遺跡、右上:松ノ木遺跡、左下:下野谷遺跡、右下:下里本邑遺跡

もっとも、公園などに展示されている遺跡はごく一部であり、実は多くの遺跡
が川沿いの住宅地などに埋もれてしまったことも事実である。

古墳時代にもその遺跡は流域に多く見られ、多摩川台の亀甲山古墳や宝莱
山古墳、朝霞の(黒目川)、三鷹市大沢の出山横穴墓群(野川)などがその一
例であると言えよう。
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柊塚古墳

平安後期から貴族に変わって武士が台頭し、鎌倉・室町と武家社会が続くこと
になる。
川沿いを歩きながら神社に立ち寄ると、源頼義・義家や頼朝、また時代は下る
が太田道灌ゆかりの神社などに出会うことができる。
例をあげれば、大宮八幡宮(善福寺川)、駒繋神社(蛇崩川)、多摩川浅間神
社などである。
それは、この頃に創建された寺は、支配地域の明示といった主張のために造
営されたという性格もあるという。
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左:大宮八幡宮、右上:駒繋神社、右下:多摩川浅間神社

当然のことながら、江戸期以降に建立された社寺の方がずっと多く、その多く
は、川沿いにある集落の信仰の対象として建立され、崇め続けられてきたも
のであろう。

また、川を歩きながら付近の神社や仏閣を訪ねると、多くは高台に設置されて
いることに気づく。
高台に神社を造る理由として、より高い場所に造営することにより神が降臨し
やすくするということが挙げられるが、洪水で流失する危険から守るということ
が大きいと考える。

時として、川は戦いの場ともなる。
都内であれば、多摩川沿いの分倍河原古戦場(元弘3年(1333))、野川沿い
の金井原古戦場(正平7年(1352))、妙正寺川沿いの江古田原沼袋古戦場(
文明9年(1477))などが挙げられるだろう。
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金井原古戦場の碑

測量技術が未熟であった当時、川は領地の境界線としての重要な意味を持つ
ものであった。
西の方を見れば、山岳で境界が仕切られるというケースも多いが、こと関東に
おいては平野が広がっているために、河川が境界の重要な位置づけとして扱
われる傾向にあり、そこで争いが行われるのは避けられない。
もう一つ、河川沿いが戦場として選ばれるのは見通しがよく、周囲の高台に置
いた陣営からも戦況が把握しやすいという理由もあるだろう。

また、川沿いの高台に築城されるケースも見られる。
豊島氏の練馬城や石神井城(石神井川)、吉良氏の世田谷城(烏山川)などが
例として挙げられる。
川は周囲の湿地帯を含めて自然の要塞を作り上げ、また城内に多くの家来を
抱えるために水の確保が必要であったことなどが理由として挙げられる。
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上:石神井城跡、下:世田谷城跡

江戸期

豊臣秀吉は小田原攻めの後、徳川家康に関東への移封を命じ、天正18年
(1590)家康は江戸城へ入城する。
この頃になると、治水技術が発達し、人間は水をコントロールできるようになる。

家康は江戸に赴任すると、神田上水や六郷用水・二ヶ領用水の開削を命じる。
前者は江戸市中への上水道として、後者は農業用水として建設された。
当時の江戸はまだ日比谷入江が入り込んでいる状態であり、城下町を形成
するためには上水道は不可欠であった。
また、六郷用水などの農業用水は所領の石高を増加させる目的で開削された。
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神田上水遺構(東京都水道歴史館内)

同時に家康は江戸を水害から守るために駿河台を切り崩し、神田川を隅田川
へ直接通すという工事を行った。
現在の神田川の水道橋以東の区間であり、仙台藩が施工を担当したので仙台
堀とも呼ばれる。(完成は家康の死後)

江戸市中の拡大に伴い、承応2年(1653)には羽村の取水堰から多摩川の水
を取り込んだ玉川上水が開削される。
当初は江戸市中への給水が主目的とされたが、以後、野火止用水をはじめと
する分水が造られ、武蔵野台地にある農村へと供給、農業用水・生活用水とし
ても利用されることとなる。
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玉川上水(羽村堰付近)

神田上水や玉川上水が開削され、江戸市中の飲用・生活用水は確保されたと
はいえ、江戸を離れると、依然として水を河川に求めざるをえない。
その典型的な例として、街道の宿場町は川との交差地点にあったことが挙げ
られるだろう。
東海道の品川宿は目黒川や立会川との交差部に形成され、同様に中仙道の
板橋宿(石神井川)、川越街道の膝折宿(黒目川)も川との交点に設けられた。

再び江戸市中に目を向けると、川と川との間に堀が設けられ。川や堀には河岸
が設けられた。(武家専用のものは物揚場と称する)
日本橋の魚河岸には江戸市中で消費されり鮮魚や塩干魚が荷揚げされ、拡大
する江戸の台所として大商業地として発展した。(日本橋の魚河岸は大正期
まで日本橋魚市場として続き、関東大震災を契機に築地へと移転する。)
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江戸名所図会 『日本橋魚市』    (国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより転載)

河川は各地からの物流のルートとして利用され、小名木川(川と名づけられて
いるが、開削された運河である)は新川、江戸川、利根川を経由する航路とし
て整備された。
現在に例えれば、トラックが往来する高速道路の役割を果たしていたのである。

このように見ると、世界一の人口を有したといわれる江戸の発展は、河川なくし
ては語れない。

近代そして現代

明治以降、鉄道の開通や船舶の大型化により流通事情は変化していくこと
になる。
とはいえ、現在のように流通網が張り巡らされたという状況ではないため、
河川を利用した舟運は依然として続いていた。

また、明治10年(1877)から15年(1882)にかけて流行したコレラを契機
に、近代上水道設置の機運が高まり、明治31年(1898)、玉川上水から
導水した淀橋浄水場が完成する。
江戸初期から市民の飲用水として機能してきた神田上水は同34年、その
機能を停止する。

一方、石神井川流域では明治9年(1876)火薬製造所が操業を開始、河川
が近代工業の発達を助けたといってよいだろう。
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圧磨機圧輪記念碑(加賀西公園内)

そんな中、大正から昭和にかけて、河川に影響を及ぼす二つの大きな事案が
発生する。
関東大震災と太平洋戦争である。
関東大震災では西堀留川などが、戦後は竜閑川、浜町川、六間堀などが残土
処理場の対象として選ばれ、姿を消していった。

さらには東京の市域拡大に伴い、河川は生活排水や工業排水により汚染され、
都内の河川は汚染されていった。
そのような中。昭和36年(1961)、「東京都市計画河川下水道調査特別委員
会 委員長報告」、いわゆる「36答申」が都知事に提出され、呑川・九品仏川・
立会川・北沢川・烏山川・蛇崩川・目黒川・渋谷川・古川・桃園川・長島川・前堰
川・小松川・境川・東支川・田柄川を下水道幹線化することを推挙された。
一部は残存したものの、多くの河川に蓋が架けられ、暗渠化された。

また東京オリンピック開催に向けて首都高速が建設され、都心の楓川、築地川
などの掘割が道路、また日本橋川や古川などでは現在でも河川の上に首都高
が覆いかぶさっている。

このようにして、東京の河川は一変し、現在に至っている。

昭和50年代後半以降、都市緑化ならびに自然回帰が訴えられるようになった。
河川沿いでは親水と称して水辺の環境を整備し、水と触れ合えることができる
ようになった。
生活用水で汚染された河川には再び清流が流れ、野鳥たちが飛び交う姿が
みられるようになった。
一時期は、多摩西部まで生息域を後退させたと言われるカワセミも、現在では
都内の河川に戻ってきており、自然の復活を感じることができる。
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野川

一方、暗渠化されてしまった河川でも緑道整備が行われ、地域住民の散歩道
として利用され、緑道脇には四季折々の花が咲く。
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烏山川緑道

しかしながら時として河川は牙を向き、河川流域では度々浸水被害が起こって
いる。
そのための対策として各地に調整池などが造られ、また河川改修工事が行わ
れている。
ただ、現在の対策の多くは時間雨量50ミリを想定としたものであり、時とし
て100ミリといったゲリラ豪雨も発生し、対策が追いつかないというのが現
状であろう。
河川改修によって垂直護岸化された河川を目にすると無機質な感覚を覚える
ことさえあるが、自然の脅威への対抗措置として仕方がないことかもしれない。
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妙正寺川

とはいえ、水というものが人間にとって不可欠である以上、我々は川と巧く付き
合う方法を選択するしかない。
一散歩人としてはその対応を見届けることしかできないのかもしれないが、今
後も人間と川の共存がよりよい方向で進むことを望む次第である。

目次
   

ブログを始めるにあたり

川のプロムナードというブログを立ち上げてみました。

2007年5月以来、善福寺川リバーサイドblogというブログを続けていましたが、
この度、心機一転、新しいブログにて再出発してみることにしました。
※ 前ブログは2014年6月末をもって閉鎖しました。

前ブログでは、東京を中心とした都市河川、暗渠、用水を歩き巡り、
ウォーキングガイド風に記事を書き重ねてきましたが、
このブログもそのコンセプトは変えず、記事を書き続けていこうと思っています。

今までの記事に加えて、川沿いにある史跡や公園なども併せて紹介できれば
面白いだろうと考え、今回は、前のブログとは一味違ったブログにしていき
たいと考えています。
(特に初期の記事については、河川に関する知識もなく、気ままに書いていました)

既に前ブログで紹介してから5年以上の月日が経過した河川もあり、
周囲の風景がだいぶ変わった箇所もあるかもしれません。
出来れば再び歩いて、ご紹介できればとおもっています。

但し、今まで歩いて紹介した記事は、数百に及びます。
全てを歩き直すことは困難であり、場合によっては前回の記事を
軽く手直しする程度に留めることもありますので、ご容赦願います。
既に前ブログからご覧頂いている方々には、読み直しになるようになる
ことになるかもしれませんが、お付き合いのほど、よろしくお願い致します。

最近は、暗渠や窪地(スリバチ)に関する本も出版され、
ちょっとしたブームになりつつあります。
このブログが、暗渠などの探索のお手伝いになれば幸いです。

なお、当分の間、前ブログと並行して記事を記載していくつもりです。
果たして「二刀流」ができるか不安ですが、なんとか努力して続けられれば
と考えています。

また、前回同様、廃線歩きなど、時々脱線する話題も提供できればと思っています。

これからもよろしくお願いします。

※ お願い
前ブログにてリンクさせていただいた方々には、引き続きこのブログからも、
リンクさせていただきますのでご承諾いただければと思います。
(リンクを承諾いただけない場合は、コメント等にてご連絡ください)

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ごあんない
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過去記事はこちらから。
水系ごとに体系化しています。

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Google Mapを利用して、
橋の位置と写真を紹介します。
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プロフィール

Author:リバーサイド
善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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