豊田用水

豊田用水は平川橋付近で浅川から取水し、日野市豊田の南の崖線から
湧き出る水を集め、上田用水へ合流する用水路である。
開削時期はよくわからないが、天保14年(1843)の豊田村明細書上帳に
は記載されており、江戸時代から続く用水路である。
かつては豊田・川辺堀之内地区の水田を潤していたが、上流部は宅地化
され、下流部に僅かに水田や農地が残るのみとなっている。

浅川に架かる平川橋、その左岸に豊田用水の取水口の水門がある。
かつて大名淵と呼ばれる深い淵があったところで、取水には適していた
場所のようである。
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浅川から取り込まれた水は、JR豊田駅の南を東へと流れていく。
水路には石積み護岸が続いている。
用水に並行する道路沿いを歩くことができるが、車両の交通量が多く、
且つ歩道がないため、やや歩きにくい。
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道路沿いを流れていく豊田用水。
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この先で、北側にある中央図書館下湧水からの流れが合流する。
中央図書館下湧水は、東京の名湧水57選に選定されている湧水であり、
豊田の崖線下から毎秒17リットルの豊富な湧水量を持つ。
眺めていると水がドクドクと湧き出ている様子がうかがえる。
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中央図書館下湧水はまたの名を八幡神社下湧水ともいい、水が湧く崖線
の上の図書館脇には小さな祠の八幡神社がある。
由緒はわからない。
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湧水から出た流れは2つに分かれて豊田用水へと向かう。
1つはそのまま、南東の道路沿いに流れる水路、湧水から出る水の殆ど
はこの水路へと向かう。
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もう一つは、東の歩行者道沿いに流れる水路、この水路も200メートル
ほどで用水へと流れ込むが、歩行者道脇の水路は趣きがあってよい。
そして、先ほどとは別の湧水が所々にこの流路へと流れ込んでいる。
豊田の湧水の多さには、驚かせられる。
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豊田用水に戻り、更に進んでいく。
用水脇に旧家の板塀が残る風景が目をひく。
以前は黒塀であったようで、明治期には地下水を利用してビールを造っ
ていたという。
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またも湧水が流れ込む。
このように豊田用水は少しずつ、流量を増やしているようだ。
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水路は豊田小学校手前で、一時的に道路の左側から右側へと転じる。
道路沿いの歩道が水路の一部を覆うように造られている。
半暗渠ともいうべきであろうか。
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豊田小学校あたりから水路は新しい護岸へと変わっている。
今まで趣きのある石積み護岸が続いていただけに、ちょっと残念な気持ち
になる。
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豊田用水は東豊田の住宅沿いを流れていく。
用水沿いには広い邸宅が建ち並び、その個人宅への入口には橋が架け
られている。
中には凝ったデザインの橋もあり面白い。
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この手前の東豊田公園脇にはこの付近の地名解説板があった。
それによると、昭和47年び町名地番整理以前は大字豊田村字小高田
といい、小字名の小高田は少し高いところに田があったことが由来とさ
れているらしい。

その先、水路が分かれている場所がある。
かつて水車があった場所であるらしい。
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やがて用水の右手に豊田用水を利用した田圃が広がる。
付近は年々、宅地化されているようだが、このような田園風景は残しても
らいたいものである。
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田圃を過ぎると、用水は段丘沿いに流れ、水路脇に堀之内緑道が続いている。
短い区間ではあるが、周辺住民のよき散歩道となっているらしい。
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途中、水門があり分水されていた。
分水は南側の田畑を潤し、浅川へと流れ出るものらしい。
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用水は川辺堀之内地区へと入っていく。
再び住宅脇を流れていくが、ここでも個人宅専用の橋が架けられている。
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用水と浅川の間には、真言宗寺院の有王山延命寺がある。
創建年代は不明、境内には文明2年(1470)在銘の板碑がある。
板碑は日野市指定史跡となっており、民間に流行した講の結集が、死後
の往生を願って供養のためにつくった結集板碑であるという。
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火の見櫓脇と豊田用水。
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そこから数十メートルほどあるくと道路脇に地蔵尊が建っていた。
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水路沿いには宅地化工事が進んでいた。
数年もすれば、この辺りの風景も変わってしまうのかもしれない。
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左手(写真は下流から撮影したので右側)から、JR豊田駅北側の黒川清
流公園を源とする黒川が流れ込む。
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黒川合流後、用水を流れる水は一気に増す。
畑地や住宅沿いを流れていき、その先は右へ曲がり私有地へと入ってしまう。
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私有地部分を迂回していくと、そこは上田用水との合流地点。
豊田用水と同じく浅川から取水した上田用水と直角に合流して豊田用水
は終わる。
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《参考資料》
『用水を総合的な学習に生かす~日野の用水を例として~』
                     小坂 克信 著
『水都日野 みず・くらし・まち 水辺のある風景 日野50選』
          水辺50選ワーキンググループメンバー 編



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水無川(中川)

水無川は三鷹市北野から千歳烏山を経由し、世田谷区船橋の希望丘公園
付近で目黒川の支流である烏山川に合流する5kmほどの河川である。
三鷹市内では中川と称されている。
現在は暗渠となり、その区間の殆どが遊歩道として整備され、気軽に散策
できる河川となっている。

水無川の由来について、遊歩道沿いにある説明板(烏山給田文化財保存会、
世田谷区土木事業担当部編)を引用してみよう。
現在は自転車道になっているこの川は、古来より水無川と呼ばれ、旧烏山
村と旧給田村の境を概ね南東方向に流れ下り、旧粕谷村を経て旧船橋村
に入ると、現在の千歳清掃工場付近で、高源院(北烏山四丁目)鴨池等を
水源とする本来の烏山川(本流)に合流していました。
この区間は、河川法上の名称は烏山川ですが、もともと烏山川(本流)とは
別の支川であり、今も地元では水無川と愛称されています。
昔、水無川沿いに帯状に広がっていた水田は、水無田圃とよばれ、江戸
時代の延宝2年(1674年)や元禄10年(1697年)調整の武蔵国烏山村検
地帳に北水無、南水無と記載され、現在も橋やバス停の名称に水無の
文字を留めています。
名の由来は、旧烏山字出井向(現北烏山八丁目付近)や旧北野村(現三
鷹市北野)の湧水と天水を水源としていたので、雨期以外は流れが細り、
いつしか「水(の)無(い)川」と呼ばれるようになったようです。
後に延享2年(1745年)に、玉川上水(1654年開削)に牟礼分水が開削
され、牟礼や北野の水田を灌漑した後、水無川に流れ落ちるようにな
りましたが、分水は稲作期のみの通水で安定した水源ではありません
でした。
時は下り、昭和39年河川法改正の際、水無川は「2級河川烏山川」(世
田谷区北烏山~池尻)の一部として公示されました。
この時より、河川行政上は水無川の名が消えて烏山川と公称される一
方、合流点以北の本来の烏山川(本流)は、無名の普通河川になると
いう捻れが生じることとなりました。(後略)
※ 原文では延享2年の西暦(1745年)が間違えていたので訂正
上記説明文で、特に河川法指定のくだりで、烏山川(本流)と指定が捻じ
れてしまったことが興味深い。

前置きはこの程度として、水無川を辿っていくことにしよう。
東八道路の三鷹台団地南口交差点脇から中川遊歩道が始まる。
前述したように中川というのは、水無川の三鷹市内における別称である。
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かつては、この北側、牟礼の地に牟礼田んぼが広がり、玉川上水から導
水された牟礼用水が3本の流れとなっていた。
その3本の水路は、東の川、中川、西の川と呼ばれ、その中川が南へと
延びていたことから、この名が残っているのであろう。

遊歩道は北野の畑地や住宅脇を南へと進んでいく。
路面はタイル化され、また茶色の街路灯なども設置されており、感じのよい
散策路となっている。
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途中、道路と交差する部分では緩やかな坂となっており、河川部分が若干
の低地であったことを連想させてくれる。
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住宅地の中を蛇行しながら進んでいく遊歩道、道沿いには木々が植樹され、
目の肥やしになる。
千歳烏山付近から三鷹市方面への住民の通路ともなっており、自転車の
走行も多い。
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やがて、中央高速の高架橋が見えてくる。
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中央道と交差すると、その先で三鷹市から世田谷区へと入る。
緑道の名も中川遊歩道から水際の散歩道と名を変える。
記事冒頭で引用した「水無川のお話し」と称する説明板が設置されている。
(この場所以外にも設置)
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遊歩道は続いているが、三鷹市から世田谷区へと入ると車止めや路面
形状も変わる。
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給田四丁目緑地という児童遊園脇を進んでいく。
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遠くに烏山の高層マンションが見えてくる。
水無川の緑道のなかでも最も景観のいい場所の一つであろう。
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甲州街道と交差する手前、畑の脇にコンクリートの構造物があった。
かつての護岸の跡であろうか。
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甲州街道の歩道橋から、更に南へ続く緑道を撮影してみた。
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千歳烏山駅に近づくと水無川跡は駐輪場として利用されている。
そして、水無川は駅のホーム下を流れていたようだ。
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駅の先も水際の散歩道は続く。
今までとは違い、一般道との交差部には、かつて架かっていた橋の名を
記した柱が建っている。
写真は天神橋。
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こちらの柱には栄橋という名が記されている。
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緑道沿いに設けられていた人工のせさらぎ。
(秋だったためか、水は流れていなかった。)
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水無川沿いにずっと続いてきた緑道は、粕谷3丁目で終わる。
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その先は東へと一般道を進んでいく。
行く手には、ガスタンクが見えてくる。
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その道路は蘆花恒春園烏山川2参照)の南側を通っていく。
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千歳台交差点で環八を越え、数百メートルほど直進する。
希望丘公園付近で、北から烏山川が近づき、水無川は烏山川へと合流し
ていたようだ。
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Author:リバーサイド
善福寺川沿いのウォーキングから始め、東京や近郊の中小河川・用水・暗渠を巡る。
07年「善福寺川リバーサイドブログ」を綴り始め(14年6月閉鎖)、13年2月から当ブログを開始。

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